まずは仲正昌樹氏による『アンチ・オイディプス』の入門講義(作品社)を読む。
入門書ですら、何を言っているのか分からない箇所が多数ある。朝から頭を悩ます。
僕なりの解釈をするとこうである。
「欲望には主体がない」という記述を見る限り、欲望は「受動的」である。
また、主体 (人間) の外部に欲望があるとの記述を鑑みて、主体と欲望を切り離して考えていることを確認する。
ドゥルーズ=ガタリはあらゆるものを「機械」に置き換えて論じている。
これから僕が確認しないといけないのは、「無意識」と「欲望」と「機械」のつながりだ。
欲望が受動的ということで、おそらく機械の作動するプロセスに組み込まれているという見方なのだろうか。
プロセス自体が無意識ということなのだろうか。
そんなことを考えながら一旦ストップする。
『格差という虚構』も読み進める。
世界一身長の高い国はオランダということであるが、「平均値」に着目すれば、日本とはわずか10cmの差しかないのだという。
集団で考えると環境要因が左右され、個人差で考えると遺伝要因で大きく左右されるという行動遺伝学の見方が、「個人差を遺伝で説明する」ことを正当化するのだという。
話は先に進み、双子研究や養子研究を見ながら著者は検証をしていく。
「年を取れば取るほどに遺伝に左右される」という新しい見方を著者は提示する。
「遺伝が環境を呼び寄せる」ともいう。
朝から難しい本ばかり読んで疲れてしまった。
僕は疑問ばかりが残った。
そもそも「環境」とは何か。
まだ全部読めていないので後で修正が必要になるかもしれないが、環境ほど曖昧な言葉はない。
無限に近い数ある要因を「一括り」したに過ぎない。
途方もないテーマをよく新書にまとめあげたな、とは思う反面、語りきれないこともあるだろうと、批判的になる午前であった。
つづく