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読書日記26

遥洋子『東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ』ちくま文庫 (2004)

今日も引き続き、昨日読んだ『東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ』のつづきを読む。

今日のテーマは従軍慰安婦問題だ。

戦争を経験したおじいさんが「現実を教える」と言い、なぜ慰安婦がいたのかを学生に伝える。

しかし、著者はそのおじいさんの論理構造は、どこまでも男性優位社会のイデオロギーに内包された形のままであることに違和感を覚える。

上野千鶴子氏は「現実」と「事実」は違うと指摘する。

それは、加害者側と被害者側の経験内容の落差が大きいためであるとする。

僕は心のなかで上野氏に畏敬の念を抱く。

言葉の重みを誰よりも理解し、誰よりも明確に表現しているように思える。

上野氏の論文や文献は岩波文庫で読める。

『ナショナリズムとジェンダー』を読まずにいられない。

白水社クセジュ『唯物論』のつづきを読む。

観念論者の主張に僕は説得力を感じた。

全ての現象が物質に還元されるという事実を、身体という「物質」に包まれている人間がどうやって「精神」と「物質」を分けることができるのだろうか。

とはいえ、僕は唯心論には懐疑的である。

本書によれば、唯物論は複雑であり、唯物の歴史を語ることは困難であるという。

それは歴史的には事後的に「唯物論」という言葉が生まれたことと、様々な学問において、唯物論と非唯物論との境界付けが難しいだからという。

僕はとりあえずイデオロギーのようなものだな、と解釈した。

考え方の「鋳型」であって、それはつまり、思考方法のようなものだ。

というのは素人の考えなので、もう少し読み進めたいと思う。

つづく

公開日2022-01-11

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