人はこう言う。
「学校ではお金について教えてくれない。」
厳密には2つ意味がある。
まず資産や投資に関係するお話だろう。要するに実践としてのお金。
もうひとつは大学院でなら学習できるかもしれない。
つまりは理論としてのお金。
僕の見立てでは、お金に興味のある人はだいたい前者に傾く。
僕もそうであった。
今は後者に傾いている。
ウルリケ・ヘルマン『スミス・マルクス・ケインズ よみがえる危機の処方箋』みすず書房2020年を読む。
導入部分から経済学者への批判が止まらない。
今や、実態とかけ離れた数学の理論に夢中になっているという強烈な皮肉だ。
Googleで「経済学者 役に立たない」と検索するとけっこうな数の記事が出てくる。
僕はそのことについてはノーコメントである。まだ知識が足りない。
経済をあまり語れない自分に腹が立った。
貨幣という観念、システムの根本を僕はまだ理解できていないのだと思う。
ゲオルク・ジンメル『貨幣の哲学』白水社を読みたいと思った。
ところが税込みで11000円。手が出にくい。
図書館にあることを祈る。
僕は、物々交換から始まって、それが金融市場に置き換わり、資本主義の危機とまで言われる一連の流れを理解したいと思った。
世の中、ビジネスはWin-Winであるというけれども、なんとなく綺麗事にみえる。
というのも、株主と会社のトップはまず対等関係ではない。
投資される側、投資する側はだいたい上下関係にある。
本当にWin-Winの関係など存在するのだろうか。
疑い過ぎだろうか。
謎は多い。
しかし、分からないことをひとつずつ潰すことはできる。
つづく
公開日2022-01-14