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読書日記38

ウルリケ・ヘルマン『スミス・マルクス・ケインズ:よみがえる危機への処方箋』みすず書房 (2020)

つづきを読み進めた。

https://labo-dokusyo-fukurou.net/2024/04/03/%e8%aa%ad%e6%9b%b8%e6%97%a5%e8%a8%9837/

結局のところ、マルクスとエンゲルスでも「価格」が何によって決まるのかを厳密に論証することはできなかった。

しかしながら、彼らは「過剰な信用供与が行われば常に金融恐慌が発生する」という事実を正確に捉えることには成功したと筆者は指摘する。

そのあとにシュンペーターが登場する。

彼も価格の不透明性に翻弄されたものの、経済成長を「イノベーション」で説明することには成功したみたいである。

マルクスの考えを引き継いだ者は「新古典派」と呼ばれた。

そして新たに「限界効用論者」もこのあたりで出現する。

経済を「主観」で捉える時代が到来。

そして経済学はどんどん複雑化していき、泥沼化していく、、、というところまで読み進めた。

僕は、価格というものは哲学的難問だと思うようになった。

人間が生まれた瞬間から既に社会という環境に包囲されていて、「個性」というものを社会的性格を全て排除して記述することができないことと同じ仕方で、「価格」というものについても、社会的性質を全て排除して「絶対的」に決めることはできないと感じた。

「価値とは○○です。」

「希少性とは○○です。」

と断言する人がいればまず僕は疑う。

つづく

公開日2022-01-16

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