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橘玲『無理ゲー社会』小学館新書 (2021) 読了

橘 玲『無理ゲー社会』小学館新書 (2021)

  

ざっくりまとめると、無理ゲーの理由は以下である。

・資本主義という格差生産装置

・日本のリベラル化

・恋愛格差の台頭

・努力すれば夢は叶うというプロパガンダ

・機会平等は結局不平等を生む

・人生はほぼ遺伝で決まる

・運の平等主義の台頭、教育の無力感・限界

という内容であった。

では、以下私見。

・「自己責任」は幻想。

責任は自由があって初めて生まれる概念である。

世間のいう「自己責任」とは、「社会的自由意思」があるから「社会的責任」が生まれるのだと見る。社会的自由意思とは僕の考えた言葉であって、要するに、「自由意思は社会によって形成される」という意味である。奴隷には自由がない。一部の労働者にも自由がないと考えれば、そこには責任もないのである。(貧困→低学歴→本質的に「自由のない」職業選び)

本質的な自由意思とは、社会的存在としての自分を俯瞰し、人生を「解釈」する意思である。

参考図書:ジュリアン・バッジーニ『倫理学の道具箱』

・遺伝決定論に対する疑問

まだまだ脳科学は未発達である。データは万能ではない。「今のところ有力な説」に過ぎず、謎は多い。データで決めつけるのは100年早い。遺伝と環境だけでは説明がつかないと思われる。

参考図書:ポパー『批判的合理主義』

・社会的自由意思を俯瞰せよ

生まれてから人は長い間、制度、システムといった社会的なものに揉まれ続ける。

当然、価値観も社会的なものになる。自分の軸、信念には「社会的なもの」に侵食されている。それをいかに俯瞰し、部分的に排除していくかが肝である。

参考図書:池田晶子『14歳からの哲学』『残酷人生論』トルストイ『人生論』ラッセル『幸福論』幸田露伴『努力論』

・恋愛が全てではない

僕は女性に期待はしていない。ただ、愛することはできる。

いち早く「愛されたい」とい幼稚な感情から脱出するべきである。

恋愛にとらわれると、可塑性(可能性ではなく、可塑性である。)のある若い時期を台無しにする。

参考図書:エーリッヒ・フロム『愛するということ』

宮台真司『「絶望の時代」の希望の恋愛学』

・悲観せず、この「時代」を利用せよ

人は、どうしても「他者のせい」にしたがる。ただ、それは憂さ晴らしにはなるが、それ以上にはならない。この甘さ、幼さから脱出することで、自分をアップデートしていきたい。

参考図書:心屋仁之助『がんばっても報われない本当の理由』

・リテラシーを高めよ

図書館は最強の公共サービスであると僕は考える。

「お勉強」と「勉強」を分けていかないと、この先は厳しい。

お勉強とは試験のための勉強であって、勉強とは世の中や人間を学ぶことである。すべては「図書館」で学べる。無料なのだから。

参考図書:樺沢紫苑『インプット大全』『アウトプット大全』

堀正岳『知的生活の設計』瀬木比呂志『究極の独学術』

まとめ

絶望することは悪いことではない。そのまま落ちて落ちて、あとは「上がるだけ」だということもまた事実ではないだろうか。収入が低いと負の連鎖に入る、みたいな風潮があるが、例外が多いことも事実なのである。何事も、「例外」はいつもあることを忘れてはいけない。

公開日2021-07-29

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