つづきを読み進めた。
マキャベリ、ホッブス、スピノザ、ロック、ルソー、カント、ヒューム、アダム・スミスとつづいてく。
カントまでは土台が「自然法」にあり、自然状態について様々な考察が行われていることがわかった。
ヒュームとスミスは「徳」に焦点をあて、正義についてミクロから考察していることがわかっら。
長い目でみると、結局はプラトンの [善ー正義] に回帰している向きがある。
マキャベリのリアリズム(=性悪説)が確立されてからは、のちの哲学者もそれに引きづられる形で自然状態や戦争状態について思いをめぐらせたと僕は見る。
ようやくヒュームやスミスまでの時代になると、(ヒュームとスミスは連絡を取り合っていた。) 今までの人間観が間違っていたのでは、と考えるようになったのでは、と感じる。
公理は人文においても大事だということが分かる。
性善説ー性悪説の二分法は、もしかすれば間違っているかもしれない。
ただ、両極端の理論を弁証法的に議論してけばのちに正しい方向に議論が収束していくように僕は思った。
そして、そのステージは現代の正義論に譲られたように僕は思う。
次回は現代編を読み進めていきたい。
つづく
公開日2022-01-24