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読書日記107

伊藤守『コミュニケーション資本主義と<コモン>の探求」ポストヒューマン時代のメディア論』東京大学出版会 (2019)

   

つづきを読み進めた。

https://labo-dokusyo-fukurou.net/2024/04/09/%e8%aa%ad%e6%9b%b8%e6%97%a5%e8%a8%98105/

   

本日は第三章までを読み進めた。

ざっくりとまとめて感想を書きたい。

アメリカでは「反知性主義」というものが少なからず蔓延っている。

ポピュリズムと反知性主義が親和性を持つことによって、コミュニケーションが資本主義化した今日の政治の場が危ないといった流れで考察が進む。

    

ポピュリズムの主な特徴は「人民主権」「エリート批判」「他者排斥」とされる。

本書ではこれを「怒れるポピュリズム」と表現する。

立候補者は、マスメディアやSNSを巧みに利用し、国民の「情動」に働きかけることによって投票を得にいくという寸法である。

      

問題点としては、民意の総意がこれらの特徴によって科学的な根拠に欠ける政治判断を招くリスクがあるとする。

また、SNSで露骨に露呈された「ヘイトスピーチ」なるものが分断を広げるともされる。

ざっくりまとめると以上となる。

    

僕の感想としては、まず分断そのものが本当に悪いことなのかという疑問もある。

確かに、協力しなければならない事態においては分断している場合ではないと思いつつも、そもそも政治は与党と野党のように分断しているのが当たり前である。

分断の性質というものをまず細分化して考えていくべきである。

    

ポピュリズムに関していてば、これは本書にある通り、今日のマスメディアへの不信感がそれを助長したとされる。

SNSに流れていったのは、表面的なコミュニケーションが目立つマスメディアの性質上、致し方ないと思われる。

日本においてもそれは顕著である。

報道側は報道の質が問われ続けるだろうし、受け手側も情報リテラシーを常に更新し続ける必要があるだろう。

つづく

補足:ヘイトスピーチの規制は言論の自由を奪う可能性があるので、憲法学者たちのなかでは慎重派が多いようである。

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