つづきを読み進めた。
陸田氏は寄贈された池田氏の本やヘーゲルなどの哲学書を読む。
そして池田氏と往復書簡を始める。
今日印象に残ったことをこのブログに書き残す。
陸田氏は「善く生きること」を「善く死ぬこと」と考えた。
言い換えると、「潔く死刑を受け入れ潔く死ぬ」という意味であった。
ところが池田氏は「甘い」と切り捨てる。
おそらく、陸田氏はソクラテスの死刑と重ね合わせた。
陸田氏は、ソクラテスも死刑を受け入れたから自分も控訴せず、往復書簡はもう終わりだ、という主旨を手紙で匂わせた。
池田氏は、貴方とソクラテスは比較にすらならないと発破をかける。
「善く生きる」とは努力し続けること以外にはないと池田氏は言う。
自ら命を絶つことは努力を放棄することになる。
努力(この往復書簡で「善く生きる」ということを池田氏に示すこと)を放棄し、潔く死刑を受け入れることは、すなわち「善く生きること」について考えることを放棄することになる。
善く生きることについて考えることを放棄した人と「善く生きること」について対話することは成立し得ないと池田氏は言う。
ここまで読み、ひとまず僕は、努力の意味を「善く生きること」と捉えてみることにした。
つづく
公開日2022-02-09