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新・読書日記10

加藤泰史/松塚ゆかり『人文学・社会科学の社会的インパクト』法政大学出版局 (2023)

   

日本の大学システムがナチスドイツのそれと似ている傾向にあるということが書かれていた。

ざっくりとまとめると、大学も実用的な方向にシフトし、理系の分野は応用科学に走りがちで、基礎的な学問がいあんがしろにされているという具合であった。そしてそれがナチスの頃のドイツのアカデミズムと同じ流れであるという。

  

大学の退廃具合は昭和も同じで、全共闘の頃も丸山真男が揶揄されたり、パラっとしか読めていないが、小室直樹用語でいえば、学生の「アノミー」に通ずるエピソードなどが紹介された。

メモ

“もちろん全共闘にも高橋和巳や花崎皋平から山本義隆らのように「学問とな何か」を真摯に問い続けた人たちも存在する。そうした人たちの「何のための学問か」とか「誰のための学問か」といった「学問の公共性」をめぐる議論は実に傾聴するに値したし、今でもなおそうである。” P10

  

“クンデラによれば、小説は人間の生の全体との関係を保持しながら人間の実存の多様な可能性を私たちに見せてくれるものである。したがって小説の主題は実存的な問いそのものであって、決して現実の写実ではない。” P271

  

芥川賞の選考理由に「よく書けている」といった表現をみかける。

これは写実の類いだと自分は考えている。

メディアはどんな人物が受賞したのか、どんな背景をもった人物かに焦点を当てがちだと自分は感じている。

小説のなかの問いかけというものが軽視されている気がしてならない。

「小説は役に立たない」という言葉が生まれてくるのは今も昔もそうかもしれないが、なぜ深い問いかけなしに人は日々せっせと働けるのだろうか。

  

「常識を疑え」とよく人は言うが、その常識と呼ばれる意味の幅が狭いのではないかと自分は感じる。

エンタメ系の小説が本屋の店頭にあるのはよく売れるからだと自分は解釈しているが、なんのためのエンタメなのか。

一読者として、よくわからなくなってくる。

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