岸田秀『続ものぐさ精神分析』中公文庫
竹村和子『愛について アイデンティティと欲望の政治学』岩波現代文庫
を読みながら差別について再び考える。
岸田氏の価値の項目を読むと、差別の性質がみえてくる。
価値を突き詰めると、「無価値」にたどり着く。「幻想」とも言い換えられる。
極端なお話をすれば、価値が見出せない人生はつらい。そこで人間は価値という幻想を作り出し、あたかも価値というものが普遍的に存在するかのように在るのがいまの社会というのが大まかな部分である。
岸田氏は説明する。
多様性とは言いながらも、ある人は「お金」を至上の価値とし、その多可で人を価値付ける。
ある人は「時間」を至上の価値とし、いかに時間があるかどうかで人生を価値付ける。
かくして、人間は価値体系をめぐってささいな争いが起きる。
その副産物として「差別」というものが生まれる。
哲学でよく語られることとして、国家は存在しない、というお話がある。
現実世界のどこをみても「国家」なるものはなく、それは「脳」がつくりだした「観念」であると。
お金も約束ごとのようなものであるため、「観念」の一種であり、価値も「観念」である。
したがって、人間は観念という「思い込み」によって問題をややこしくしている。
つづく
公開日2022-02-21
【追記・補足】
差別と区別を明確にするには何が必要だろうか?
改めて考えると奥が深い。ヘイトスピーチは政治行為なので言論の自由に守られる。しかし合法だからといって差別をしてもいいのか?と問うと、これは人間性の問題へと移っていく気がする。