池田晶子『魂とは何か さて死んだのは誰なのか』を読む。
まず「信じること」と「考えること」の違いについて書かれている。
人はわからないから「考える」のであり、信じることは「わかったつもり」である、と。
ここで既におかしな点がある。
「わかったつもり」は「知っている」ことだと仮に認めてみるとしよう。
すると必然的に信じることは知っていることと等価になる。
わざわざ知っていることを「信じる」と言ってしまうのは何故か。
それは結局は「よくわからない」ことの証明になる。
背理法的に矛盾性が導き出される。
ここでソクラテス「無知の知」の威力が浮き彫りになる。
「知ることは想起である」
わかったつもり、というのはつまり想起させるべきものに蓋をすることに等しいのだ。
ここで「考えること」の基本に戻る。
考えることは想起へ向かう「プロセス」と言える。
そして想起へと辿り着いた際にようやく「知る」ことになる。
ここで面白いのは、やはり「知」は人間の内部に存在しているということではないだろうか。
知る前に「先行」して「存在」している。
池田氏の本を読むとあらゆる知識体系が虚構に見えてしまう。
僕は学問と池田氏の思考との弁証法によって前へ進んでいきたいと思う。
つづく
公開日2022-03-14