■株式会社光文社
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日記
この頃のソクラテスは60代、メノンは20歳。メノンはゴルギアスの教え染まっている。
ゴルギアスは弁論家であったが、プラトン『ゴルギアス』では、ソクラテスに完膚なきまでに論駁された人物である。
以上の設定を予備知識として持っていると本文を読み易いということで、まえがきをしっかり読んで本文を読んだ。
今日は100ページ弱読んだ。
・・・
ソクラテスはメノンに「徳とは何か」を答えさせる。
メノンは「徳とはよいものを欲し、それを獲得できることだ」と答えた。
結果的に、それは誤った定義だと分かってしまう。
薬物中毒者で例えてみる。彼らは薬物を欲する。彼らにとって薬物は「よいもの」である。
よいものとは、各々の判断のもとで「よいもの」と認定されたものが「よいもの」となる。
自分に悪いものだと分かって薬物を摂るものはいない。「わるいと分かっててもやめられない」というのは、それでもやめないことを自分で選んでいるので、やめないことはやめることよりも幾分か「よいもの」だということになる。
(ここでは自由意志については論じないことにする)
「それを獲得できること」ともメノンは言っている。
仮に、その薬物が違法なものであれば、それを入手する能力というものは、「不正な仕方で」得る能力ということになる。
不正に手に入れるのであれば、もはやそれは「悪徳」だということになる。すかさずソクラテスが指摘した。
この場合(メノンの定義に従うのであれば)、徳それ自体が「不正」や「悪」というものを排除する概念ではありえない。
「善」という概念には「不正」は存在しない。メノンのいう「徳」は存在する。
その証拠として、「悪徳」という言葉は成立するが「悪善(悪い善)」という言葉は存在しない。(善悪という言葉は存在するが、今は言葉に「正しい〇〇」、「悪い〇〇」と付け加えられるかどうかの話をしている)
メノンの定義は明らかに違うことがソクラテスの問答によって証明された。
改めて読み直してみると、本書はプラトンのなかでも読み易く、かつ深い内容であると書いてあるまえがきに頷ける。
きっと誰が読んでもうなづける。
この本は幅広く、様々な年齢層に読まれてもらいたいと感じた。