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新・読書日記28 + 落合陽一『忘れる読書』読了

    四方田犬彦『書物の灰燼に抗してー比較文学論集』工作舎(2011)
シーラ・ジェフリーズ『美とミソジニー』慶應義塾大学出版会 (2022)

■株式会社工作舎

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読書日記

四方田犬彦氏はパゾリーニ詩集(新装版のほう)がきっかけで知った。

そのころ、ブックオフに四方田犬彦『いまだ人生を語らず』が置いてあったので購入した。

一万冊の本をそれぞれ一回しか手に取らない人は不幸だ、といったことが書かれている。

本は一回読んだらもう読まないという人もいるが、自分も本を読んだ後、一度寝かしてから再読をするとまた違った読書体験ができるということは『デカルトからベイトソンへ』を読んだときに実感した。

 

https://nainaiteiyan.hatenablog.com/entry/2022/10/06/141508

 

・・・

『書物の灰燼に抗してー比較文学論集』

今日は落合氏の本に時間をかけたのでパラパラと読むにとどめた。

アドルノのエッセイに対する考え方について四方田氏が語っていた。

エッセイは今まで創造されたものをただ語るだけに過ぎない、という主張にアドルノは反論。

アドルノにとってエッセーは対象と対象を駆け巡る、常に自由で可動的な営みであり、ひとつの体系化された認識に凝固しないことで、力の場を形成するのだという。(ややまどろっこしい言い回しがアドルノっぽさを醸し出している)

四方田氏もまた博覧強記であり、個人的に関心のある人物である。

少しずつ読み進めていきたい。

・・・

『美とミソジニー』

ジュンク堂のなかをウロウロしていると、なにが女性の主要な敵なのか?といったタイトルの本が売っていた。

フェミニズムの批判の対象は広範囲で、どこかぼやけている印象がある。また、近年は「クィア理論」など新たな分野が展開され、ますます細分化されている印象がある。

  

自分も収入はかなり低いほうなので、賃金を問題にしているフェミニストととは少しだけ話が通ずるかもしれない。

しかし、お互いの問題意識は程遠い位置にあるのかもしれない。

鈴木涼美氏の本に「エロス資本」といった言葉が出てくる。若くて美しい女性は社会的に需要があり、高収入を得られる可能性、潜在力が同年代の男よりも高い、という意味で自分は解釈している。

本書では「エロス的資本」という言葉が使われているが、意味は同じだと思われた。

 

「器用で世渡り上手の女性は、男性優位社会のなかで「エロス的資本」を逆手にとればむしろ贅沢できる」という主張に対して著者は反論する。

エロス的資本の力は乏しく、富は手に入るが権力構造までは変えることができない、ということを述べていた。

すると、この本はどういう問題意識を持っているのかが、多少すくいとることができたように思う。

つまり男性優位社会の解体である。

 

しかし一方で、フィンランドやデンマークなどの北欧諸国はジェンダーの平等がかなり進んでると聞く。

権力構造を変えるならば、まずするべきはクオータ制の導入なのではないか?

そうすれば権力構造は部分的に変わると思うのであったが、これは短絡的な意見だろうか?

時間があればクオータ制の文献にあたってみたい。

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        落合陽一『忘れる読書』PHP新書 (2022)

■株式会社PHP研究所

公式HP:https://www.php.co.jp/

公式X(旧 Twitter):https://twitter.com/PHPInstitute_PR?ref_src=twsrc%5Egoogle%7Ctwcamp%5Eserp%7Ctwgr%5Eauthor

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感想

終始一貫、言語化の重要性を語っていたように感じた。

例えば「わびさび」という言葉について、落合氏は自分の言葉で定義している。

“(・・・)「複雑性とシンプルさの間の不均衡を安定させようとする中で発見される美であり、永い試行を重ねる中でやがて自然に漸近するもの」。” P177

 

自分なりの言葉で落とし込むことによって、いろいろな言葉の意味がしっかりと定着し、コミュニケーションがより進みやすくなる。

「自分なりの言葉」というのが強調するポイントで、落合氏は村上春樹の小説がそういった作業の参考になるのだという。

 

かといって、勉強することだけでは退屈なので、時には読みたいものだけを読んだり、ぱらぱらめくるだけの読書もあったりと、落合氏は自分なりの型で自由に読んでいる印象を受けた。

松岡正剛氏は「ファッションのような感覚で読んでいい」と言っていた。

自分なりに、好きなように読み、気になった単語は自分なりの言葉で落としこむ。

早速明日からやってみようと感じた。

つづく

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