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日記
『権力への意志 上』
落合陽一氏が父親の影響で、若いころからニーチェをよく読んでいたと言及されていた。
( 『忘れる読書』のなかに書かれている)
落合氏は「ニーチェの言葉にはほのかにポジティブなものを感じる」といったことを書いていたが、自分も『権力への意志』に限っては、そのような前向きな言及が確かにあるような気もした。
つい最近、個人的な話にはなってしまうがノートを数冊もらった。
ジョルジュ・バタイユはニーチェ覚書という本を出しているが、自分もその影響かは知らないが、ニーチェ覚書をひとつのノートにまとめてみようと考えた。
その一部だけ紹介したい。
”真の生に入るとはーー普遍的生を生きることによって、おのれの個人的生を死から救うことであるーー” P198
・良心について
“(・・・)じじつ良心は或る行為を非難しはするが、それは、その行為が長いこと非難されてきたからである。良心はたんに口まねをするだけであって、いかなる価値をも創造することはない。” P293
・徳と権力について
“徳自身でもって徳の支配が基礎づけられるのではない。徳自身でもっては、権力が断念され、権力への意志が失われる。” P303
一番最後の言葉はかなり本質を突いた格言のように自分には思われた。
ソクラテスをすぐに想起した。『国家』のなかで、不正を自由に行使できる人間は不幸である、ということが哲人国家の構造だと判明した本である。徳と権力との関係をニーチェはうまく捉えているような気がするのであった。
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『生まれてきたことが苦しいあなたに:最強のペシミスト・シオランの思想』
久びりに再読した。初版が2019年となっているので、初めて手に取ってから5年くらい経ったということになる。
当時はまだ哲学史について全く分からなかったので、本書に書かれているサルトルとボーヴォワールとシオランに関する面白い話が記憶に残らないでいた。今日初めて知った。
(ボーヴォワールがタバコを吸おうとするとシオランは立ち上がって火をつけたり、サルトルらの議論に口を挟まずにじっと聞いていたというエピソード)
シオランは意外にも本が売れていたということがこの本に書かれている。
確かに暗い本ではあるが、共感する人が多くいたことは意外である。
哲学的な文化の色が濃いフランスだから売れたのだろうか。そのあたりはわからなかったが、シオランが印税なり、パラサイトなりで労働からうまく逃げ切っていた様子はよく伝わった。
このような、何気ないワンシーンのような話も個人的には面白かったが、怠惰に関する考察はなかなか深いものを感じた。
こじつけ感が無きにしも非ずではあるが、本書では怠惰の効用なるものを力説しているように感じた。
シオランは「怠惰とは行為の拒否である」という言葉を残した。
パスカルの格言に、人は家にじっとしていられないから不幸になる、といった言葉があったが、シオランの思想はこのベクトルにおいて絶大な効果を発揮する。
怠惰であることによってのみ幸福となるという、パスカル的転回とでも表現できるような、ポジティブな側面もあるということが本書の読書を通じて理解できた。
著者は、怠惰な人間は犯罪を犯さない(そもそもベッドから出られないので)という面を強調していた。
そしてシオランは言う。
“すなわち悪の原動力は、意志の緊張に、静寂主義への無能力に潜んでいる。” P89
これは決して誇張ではない気がしてくるのであった。
3S政策は、この静寂主義への無能力から生まれたのである。
再読することでまた新しいシオランの姿が見えた。
つづく
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