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日記
アザリーン・ヴァンデアフリートオルーミ『私はゼブラ』のつづきと、
池田晶子『無敵のソクラテス』のつづきを読む。
昨日、『ナボコフ文学講義』を読んでいたところ、「読書というものは存在しない。あるものは再読だけだ」といったことが語られていた。これは『私はゼブラ』のなかでモラレスが言ったセリフである。
これは間違いない。彼女はナボコフの言葉を引用していたのだ。
個人的な話としては、いまのところプラトン『国家』を再読する予定である。
池田氏は数学的かつ論理的にに物事を考えていることが良く分かる。
流行のプランナーと称する人物とソクラテスが議論をかわす。
他人との比較において、流行を先取りすることで優越に浸ることができる、ということについてソクラテスは反駁する。
“そのものでないものでなければあり得ないものと、そのものでないものがなくてもあり得るものとの、どちらが優勢しているかしら。” P81
水と魚で考えてみる。
体内に水のない魚は存在しないが、魚のない水は存在する。
よって、優勢なのは魚ではなく水である。
つまり、「そのものでないものがなくてもあり得るもの」は水であり、水が優勢だ。
他人がなければあり得ない自分と、他人がなくてもあり得る自分。
論理的に後者が優勢であり、後者は流行に乗らない。
故に、他人との比較関係においては、流行に乗って他人に優越に浸ることができる、ということが「偽」であると判明する。
論理と哲学はやはり面白い。
つづく
公開日2022-05-28