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新・読書日記45

ランドルフ・M・ネシー『なぜ心はこんなに脆いのか: 不安や抑うつの進化心理学』草思社(2021)

■株式会社草思社

公式HP:https://www.soshisha.com/

公式(旧 Twitter):https://twitter.com/soshisha_SCI?ref_src=twsrc%5Egoogle%7Ctwcamp%5Eserp%7Ctwgr%5Eauthor

  渡辺一樹『バーナード・ウィリアムズの哲学:反道徳の哲学』青土社(2024)

■株式会社草思社

公式HP:https://www.soshisha.com/

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日記

『なぜ心はこんなに脆いのか: 不安や抑うつの進化心理学』

その機能はなぜあるのか?と問うのは中傷的すぎる。

そこで「その機能にはどんな役割があるのか?」と問うことで進化的な説明が得られることもある。

なぜ心はこんなに脆いのか?と漠然と問うと途方に暮れる。そこで著者は進化的な思考と医学的な思考を頼りに、心の弱さにはどんな役割があるのか?と問いをシフトさせ、心の脆さへの探究を始める。前半は少しずつ読むのに時間がかかったが、本書は二周目ということもあり、少し飛ばしながら読み進めた。

  

ピーター・シンガーの本や『動物に心は必要か?』を読んだことによって、擬人主義的な考えを回避しつつ建設的な思考を試みてみたい。

つづく

・・・

『バーナード・ウィリアムズの哲学:反道徳の哲学』

道徳哲学を少しずつ深堀りしていく展開は読んでいて非常に読みごたえがあった。

功利主義の世界にとって、正しい行為とは全体の功利を最大化することである。つまり一人ひとりに求められるのは「調整者」としての行為に収斂していく。

しかしながらこの場合、己の信念や目的というものが全体の功利に寄与しない場合、それは正しい規範としては認められない。

功利主義の欠点は共産主義社会のように、個性という価値がはく奪されることにある。

ここに、ウィリアムズは功利主義が脆弱な政治原理であることを見出す。

“「功利主義の視点は、行為者の見方を単純化しすぎており、それによってわれわれの倫理の複雑性を取りこぼしている」” P93

  

だからといってカント主義も完全とは言えない。カント主義もまた、固定化された普遍的な行為によって個性がはく奪されてしまう。

カント主義もまた「内発性」や「integrity = 内的統一(これだけは絶対に守る等)」に基づく行為が普遍妥当性を持たない行為であれば排除されてしまう。

ある意味、倫理的な機械としての人間にとどまる。著者は問う。

“倫理の理論でありながら、ひとの生存の条件を考慮しない理論など、可能なのだろうか。” P106

  

人間らしさを重視するということ、それは理屈では説明できないことを正当化することでもある。

しかしそれは前回書いたように、これを許すと功利主義的な方向に傾く。

大多数がある囚人を、法という壁を超えて「死刑にすべき」という決断を後押ししてしまう恐れが出てくる。

理屈を超えた行動原理を功利主義は許容するが、それはあくまで全体の功利に寄与する場合に限られるという条件付きの許容である。

  

功利主義とカントの義務論とのせめぎ合いは相当長い戦いになりそうである。

これらを弁証法的に、より高次の政治原理にまとめあげることはできるのだろうか。

それは両立し得ない、ある種のトレードオフなのか。

考えてみるのは面白いと思う。

つづく


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