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読書日記452

       ニーチェ『ツァラトゥストラかく語りき』河出文庫 (2015)

■株式会社河出書房新社

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日記

ニーチェ『ツァラトゥストラかく語りき』のつづきと、

『悦ばしき知恵』河出文庫 (2012年) を読む。

https://labo-dokusyo-fukurou.net/2024/05/17/%e8%aa%ad%e6%9b%b8%e6%97%a5%e8%a8%98451/

   

悦ばしき知恵のほうは読みづらい。

眠気と戦いながらも本書に書かれていたこと、とくに今日はニーチェが言う「徳」の性質を私は理解した。

端的にいえばニーチェは、徳が社会の発展のための道具として存在していると踏んでいた。

そしてデヴィッド・グレーバー『負債論』において、ニーチェが重要だとされていた理由も部分的には理解できた。

グレーバーは、部分的には道徳によって「ブルシット・ジョブ」が発生すると見ていた。

https://nainaiteiyan.hatenablog.com/entry/2022/01/19/213927
https://labo-dokusyo-fukurou.net/2024/04/29/%e9%85%92%e4%ba%95%e9%9a%86%e5%8f%b2%e3%80%8e%e3%83%96%e3%83%ab%e3%82%b7%e3%83%83%e3%83%88%e3%83%bb%e3%82%b8%e3%83%a7%e3%83%96%e3%81%ae%e8%ac%8e%e3%80%8f%e8%aa%ad%e4%ba%86/

   

徳は倫理と道徳に分かれる。

池田晶子氏の考えに沿えば、マクロは道徳でミクロは倫理。

ニーチェは社会と徳の関係性について述べているので、ニーチェのいう徳は道徳であると考えられる。

言葉は別の言葉によって説明される。

円環構造を成していて、単語の意味はまた別の単語によって定義される。

本もそうではないだろうか。

一冊の本の意味はまた別の本によって説明される。

今回はニーチェとデヴィッド・グレーバーの接合部をこの目で確認することができた。

収穫のある朝であった。

つづく

公開日2022-05-30

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