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日記
プラトン『法律 (上) 』のつづきを読む。
200項まで読み進めた。
内容としては、第三巻に入った。
プラトンは国制の起源について語り合う。
まずは大きな枠である軍事から考察が進む。
支配とは国家の願望であり、個人に当てはめると、欲求である。
しかしながら、欲求に振り回されればタガが外れる。したがって、思慮によって統制することが求められるとされる。
法の制定にあたっては、この知性に着目すべきであるとプラトンらは主張する。
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プラトンは、もし国家が没落した場合、その原因は臆病でもなく軍事に精通していなかったのでもなく、「人間に関わる事柄に対する無知」が原因であると主張した。
その無知とは、善いものを愛さずに憎み、劣悪で不正な悪いものを愛するような気質であるとした。
その後は統治について具体的な話が語られる。
自然界が弱肉強食で成り立っているように、支配構造もまた「強いものが弱いものを支配する」ことが理にかなっているとプラトンは主張する。
プラトンは、ヘシオドスの「半分はしばしば全体よりすぐれている」という格言を引用しながら「善いもの=適度」という考え方を示す。領土の全体を取ることが破滅を招く恐れがあるならば、とりあえず半分だけ取ることのほうが適度であり、その意味においては半分は全体よりも「善いもの」という理屈である。
これを個人に当てはめる。
例えば思慮の浅い若者に全ての裁量を与えたところで、うまく統治できる道理はない。
その裁量は「適度ではない」ことの何よりの証しである。したがって、立法者は思慮のある大人が望ましいという帰結になる。
プラトンは国制には二種類あるとした。
君主制と民主制で、前者はペルシア民族に当てはまり、後者はプラトンの属するアテナイとした。
法を制定するにあたっては、この二つのどちらかに沿っていくか、またはこの二つをうまく組合わせていく方法であるか、の三択であるとした。
しかしながら、ペルシアの君主主義とアテナイの自由主義はラコニア(スパルタ)とクレテの国制と比べるとうまくいっていないとプラトンは語る。
そしてプラトンらはその原因について探ってみようとする。
キリがよいので一度ここまででまとめを終えたい。
感想としては、やはり『国家』の続編ともとれる内容ではあるが、そこまで難しいものでもない。
なんとか最後までやりとげられそうな気がしてくる。
つづく
公開日2022-06-01