■株式会社新潮社
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日記
村上春樹『職業としての小説家』新潮文庫 (2016年) を読む。
昨日、『雑文集』において村上春樹が小説家になる前にジャズ・バーを経営していたことが語られていた。
本書にもそのことが書かれていた。
村上氏は、ながくなるので全部は話せないが、就職するのは嫌だったと語る。
店を開くハードルが今ほどには高くなく、夫婦でお金を貯めて開いたのだそうだ。
野球観戦中に小説家になろうと、ふと思ったというエピソードも語られた。
村上春樹は、小説家には変わった人が少なくはないと語る。
1922年にプルーストとジェイムズが席を共にした時に、お互い全く喋らず、二人の会話を期待した聴衆をがっかりさせたエピソード等も語られた。
この話を読むと田中慎弥氏のことを思い出す。
小説というものは孤独の時間の結晶化だと個人的には思っている。
それを田中氏は『孤独論』のなかで文章で表現していた。
しかしながら、真の意味でそのような小説は少ないのではないだろうか。
その後はノーベル文学賞や芥川賞等について、そして村上春樹の過去について語られた。
本書を読んで文学というものの力について再度思いをめぐらせた。
出版業界が不調であるのは、本当にテクノロジーによるものなのだろうか。
深いところでは、実はそうではないのかもしれない。
つづく
公開日2022-06-09