閉じる

読書日記495

     モーリス・ブランショ『来るべき書物』ちくま学芸文庫 (2013年)

■株式会社筑摩書房

公式HP:https://www.chikumashobo.co.jp/

公式X(旧 Twitter):https://twitter.com/ChikumaShinsho?ref_src=twsrc%5Egoogle%7Ctwcamp%5Eserp%7Ctwgr%5Eauthor

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

日記

モーリス・ブランショ『来るべき書物』ちくま学芸文庫 (2013年) 、

郷原佳以『文学のミニマル・イメージ:モーリス・ブランショ論』左右社オンデマンド・ブックス (2021年) 、

ディートマー・エルガー『ゲルハルト・ヒリター評伝』美術出版社 (2018年) を読む。

最近は人間という存在について文学と芸術の視点からいろいろと考えることが多い。

一時は人間科学に夢中になったが、やはり説明が足りない。物足りなさを感じる。

モーリス・ブランショは難しい。

今日も書き写したり、じっくりと思いを巡らした。

「芸術はわれわれにおいては(おそらくヘーゲルの時代と比べて)単純な美的快楽や教養の補いと化するほどにも下落しているのだ。」

「作品は作者と読者とも独立している絶対的なものでなければならない。」

郷原氏の本で、ブランショが何について論じていたか程度は拾う。

「イメージとはimitari (模倣する)と語源を共有している」

「夢は閉じた想像世界の完全な実現である」

イメージ、虚構、想像。

文学と芸術の解釈についていろいろと思いを巡らせた。

私にとって、人間にとって良い本とは何か。

関連する作家もメモを書き残した。

・レーモンベルール

・ルイ=ルネデフォレ

・ディディユベルマン

今月からゲルハルト・リヒター展が東京で開催されている。

おもいきって行くことにした。

いつまでも本の世界に閉じこもっているのは退屈である。

岡本太郎は芸術は綺麗ではあってはならない、と言うがリヒターはそうではない。

芸術の多様性というものにも思いをめぐらせていきたい。

つづく

公開日2022-06-15

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。必須項目には印がついています *

© 2024 ラボ読書梟 | WordPress テーマ: CrestaProject の Annina Free