閉じる

読書日記497

       ジャン・パウル『美学入門 新装復刊』白水社 (2010年)

■株式会社白水社

公式HP:https://www.hakusuisha.co.jp/

公式(旧 Twitter):https://twitter.com/hakusuisha?ref_src=twsrc%5Egoogle%7Ctwcamp%5Eserp%7Ctwgr%5Eauthor

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

日記

ジャン・パウル『美学入門 新装復刊』白水社 (2010年) と、

ディケンズ『大いなる遺産』新潮文庫のつづきを読む。(読書日記496に収録)

https://labo-dokusyo-fukurou.net/2024/05/19/%e8%aa%ad%e6%9b%b8%e6%97%a5%e8%a8%98496/

  

カントは美を次のように定義した。

“「美とは、概念なしに普遍的に満足を与えるものである」” P46 『美学入門 新装復刊』

    

概念はある表象の共通性を抜き出した部分。

表象とはイメージ。心に描く像。

満足とは「完全なもの」と「不満不平がないこと」を意味する。

「普遍的」とは、多くの物事に当てはまることを指す。

日本語の基本をまず自分で調べた。

そしてゆっくり考える。

おそらく満足は「完全」のほうを指すように思う。

満たす。数学で言うならば、条件を満たす、といった具合に。

まずは、

美とは概念なしに多くの物事に「完全性」を与えるもの、と意訳してみた。

「概念なしに」がピンとこない。

ここは「無意識」としてみる。

つまり、

美とは半ば無意識のうちに、多くの物事に完全性を与えるもの、とも言えるのかもしれない。

「美が無意識のうちに」という言い方はおかしいので、

美とは、直接的に多くの物事に完全性を与えるもの、と意訳してみた。

数学の公式や物理の公式には美しいものが多いとされる。

すなわち、

「完全性 ≒ 美」

と言えるのかもしれない。

これ以上改良の余地がないもの。

ズレがないもの。

梱包の際、例えば裏と表が1ミリもずれていない時、人は美しいと言うだろう。

そういうものを人は美というのかもしれない。

「美しい小説」とは何をさすだろうか。

これ以上改善の余地がない小説。

それはある程度理解できる。

ズレていない、ぶれていない小説。

裏表が完璧に一致した小説。

そうなると意味が分からない。

「調和のとれた小説」

抽象的だ。

「人々を善きものにする小説」

プラトンは善いこと、そしてイデアというものについていろいろと語ってはいるが、少々抽象的なものであった。これはやはり自分で考えるしかないのだろう。

善いとはなにか。

この問いを始めると「美」から少し離れてしまう気がする。

もっと深いことを考えてみる。

例えば、何故人は「美」と「完全」という二つの言葉を用意したのか。

さらにもっと深いことを考えてみる。

「イデア」とは、最終的にあらゆる言葉を必要とするかもしれない。

「美」だけではイデアを説明しきれない。だから「完全」という言葉も必要であり、さらに「善」という言葉も必要である、という具合に。

つづく

公開日2022-06-17

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。必須項目には印がついています *

© 2024 ラボ読書梟 | WordPress テーマ: CrestaProject の Annina Free