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日記
今日読んだ本:
デヴィット・グレーバー『ブルシット・ジョブ:クソどうでもいい仕事の理論』
御田寺圭『ただしさに殺されないために:声なき者への社会論』
ブックオカ『本屋がなくなったら困るじゃないか:11時間ぐびぐび会議』
三砂慶明『本屋という仕事』
ミノーシュ・シャフィク『21世紀の社会契約』
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メモ
「大きな声でものをいう人間を信用するな」
⇒すぐにヒトラーの演説を思い出した
辻山良雄「本というのは毎日300冊出版されている」
「本 ≒ 嗜好品」≠ 貨幣
低所得層から中間に這い上がるまでに要する時間
日本⇒4世代
米国⇒5世代
デンマーク⇒2世代
フィンランド⇒3世代
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日記
取次の構造や本屋の利益の仕組みについて軽く勉強。
Amazonに水声社の本が卸されていない理由なども調べた。
水声社の本に対する想いを確認できた。
今日は社会契約や福祉国家、格差について思いを巡らした。
『ただしさに殺されないために』において、親ガチャについて触れられていた。
「あなたの人生は、あなたの努力で動かせる部分はとても少ない」
しかし、これは別に証明されている訳ではない。
統計的にはそう見えるだけのこと。
今の時代は発想の転回が求められている。世間の価値観に振り回されていたら自殺してしまう。
親ガチャという厭世的なフレーズは自堕落に生きて人生を台無しにすることを正当化しはしない。
本屋に関する本を読みながらいろいろと考えた。
当たり前のことほど「わかっているつもり」があるかもしれない。
わかっているつもり、というのはプラトンでいう「想起」を経ていないで、誤った理解の仕方である。
小学生から社会人に至るプロセスで叩き込まれ、深くは考えていないような概念。
そういうことが世の中多いようにみえる。
例えば、やはり過剰なサービスが求められている日本の感情労働者。
人を喜ばせることは善なのだろうか。
本質的に善なのだろうか。
ただ、貨幣が絡まれば、というのが前提である。
それが仕事なのだから、という当たり前のことなのだが。
しかし、サービスとしての「奉仕」ほど気味が悪いものはないように思うときがある。
「貨幣が絡まれば、全力で奉仕します。。。」
貨幣。
本質的にヒトはモノになってきているのではないか、という気がしてくるのである。
ようするに、貨幣空間のなかでヒトはモノとなる。上の例がそれを端的に示している。
ここに本質的な善が存在し得るのだろうかと思うときがある。
(これからの本屋は、という文脈で)「人とモノを繋げていく空間作りが大事なんです」
⇒いや、だから人が「モノ」になってきているわけで、、、
こういう考え方はマイナーだと思うのでこれ以上は書かないことにしたい。
公開日2022-07-07