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日記
今日読んだ本:
フローベール『ブヴァールとペキュシェ』
ハン・ミファ『韓国の「街の本屋」生存探求』
仲正昌樹『人はなぜ「自由」から逃走するのか:エーリヒ・フロムとともに考える』
チャールズ・テイラー『自我の源泉』
岡本祐一郎『アメリカ現代思想の教室:リベラリズムからポスト資本主義まで』
三浦展『昼は散歩、夜は読書。』
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メモ
マルクス「存在が意識を規定する」(孫引き)
小林秀雄が語る福田恆存⇒「彼は良心を持った鳥」
アマゾンも実はオフライン書店を次々とオープンしている。
⇒ビジネス上、実店舗も必要と判断されている証拠。
2010年代以降、韓国において個性的な個人書店の増加。
⇒大企業が小さな本屋を食い潰すという法則を破る
別名、超ニッチ本屋
例:思考に関係する本だけを並べる
ターゲット:広告系やクリエイティブ系の会社員
~からの自由⇒消極的自由
~への自由⇒積極的自由
ハイエク⇒「政府による介入は全体主義を生み出す原因をつくりだす」
テイラー「人生とはアプリオリ(経験なしに先天的にあるもの)に統一体である」
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日記
今日は岡本氏の本から「共同体主義」「多文化主義」「リベラリズム」「リバタリアニズム」「自由主義」の定義とそれに関わるアメリカ思想史を確認。
自由主義とリベラルの厳密な違いについては明日以降再度確認したい。
『正義論』『政治的リベラリズム』で有名なジョン・ロールズはリベラリズムとされる。
リベラリズムは平等、リバタリアニズムは権利を主張すると書かれていた。
『実力も運のうち』で有名なマイケル・サンデル氏は、一応「コミュニタリアリズム」の論客とされているようである。
普通に考えれば、生まれながらにして経済的に優位にある家庭にいる子供とそうでない子供は「機会」が平等でない。
後者は金銭的に享受できるあらゆる機会(例えばピアノ教室、バイオリン教室など)が前者よりも少ない。
他にもそういった尺度がいくつもある。
ロールズ『正義論』は実践的な話ではなかった。
あくまで「原理」について言及していたがゆえに批判の的になってしまった。
それをサンデル氏は「負荷なき自己」と呼んだ。
それでは実践的ではないのは自明である。
その後、ノージックという人物がリバタリアニズムの立場からリベラリズムを批判した。
端的にいえば、「勝者への課税は不正である」といった論旨である。
その後、リバタリアンにも批判が浴びせられる。
ようやくチャールズ・テイラーの登場。
「共通善」という概念をもってくる。
ようするに、人間は社会的な生き物であって、共同体を考慮せずに正義は成立し得ないという論旨である。
かくして、『自我の源泉』をもう少し読み込む下地ができた。
補足 : ローティという分析哲学者が1970年代頃に政治論の論客として登場。分析哲学とはフレーゲや『西洋哲学史』の著者バートランド・ラッセルが活躍した、論理学で展開される哲学の分野である。
ローティは『プラグマティズムの帰結』を書いた人物である。
ネオプラグマティズムとは彼のことを指すようである。
また、『昼は散歩、夜は読書。』において、アダム・スミスの話が語られた。
スミスは分業によって生産性が大きくなることを書いた。
しかしながら、生産性のために、一人一人は退屈な作業に分担することになる。
いくら効率化とはいえ、人間性を失いはしないか、という批評の話が紹介される。
ここを読み、「自己完結性」が大事であると感じた。
プラトンも分業を推しているとはいえ、あれは工場の分担とは別の話である。
「プロフェッショナル」でなければならない。
なにかの部品をなにかに取り付けるだけの仕事のどこがプロフェッショナルなのだろうか。
仕事と人間性について思いをめぐらした。
その観点からはやはりプラトンの理論は擁護できると考えた。
公開日2022-07-19