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読書日記577

     神奈川新聞取材班『やまゆり園事件』幻冬舎文庫 (2022)

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日記

つづきをよみすすめた。

https://labo-dokusyo-fukurou.net/2024/05/29/%e8%aa%ad%e6%9b%b8%e6%97%a5%e8%a8%98576/

実名報道の是非について問いかけがなされた。

匿名報道はプライバシーを守るものでもあるが、事件の重み、命の重みを消し去ってしまう。

建前としては、実名報道は命が等価であるために必要というものであった。

遺族のなかには匿名を望む人もいる。

それは、スティグマ化された障がい者を世の中に晒されてしまうことに対する抵抗でもあった。

そのあとは優生思想の歴史などが語られた。

全てはプラトンの時代から既に始まっている。

『国家』や『法律』を読めばいくらでも差別的な表現はたしかに見受けられた。

「奴隷」は市民とは明らかに区別され差別的な扱いを受けている存在であった。

プラトンの時代から既に命は等しくないという考えが継承されている。

形而上的にはなにが問題なのだろうか。

・・・

近年は社会科学がいろいろと社会的な意義を果たしているようにみえる。

格差は多種多様であり、マイケル・サンデルが問題提起したように正当化できないことが世の中にはたくさんある。

やはり人文は世の中に役に立っている。

社会科学の動向には注目したい。

公開日2022/8/6

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