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読書日記583

ダニエル・C・ラッセル『[ケンブリッジ・コンパニオン] 徳倫理学』春秋社(2015)

■株式会社春秋社

公式HP:https://www.shunjusha.co.jp/

公式X(旧 Twitter ):https://x.com/shunjusha?ref_src=twsrc%5Egoogle%7Ctwcamp%5Eserp%7Ctwgr%5Eauthor

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メモ

アリストテレス「悪しき人が幸せな生活を送ることは不可能」

“道徳教育の最も重要な役割の一つは、正しい方向で推論することをわれわれに教えることである” P379

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日記

倫理学は議論のための議論と揶揄されることがある。

個人的にも、そう思うことはある。

ただ、何故そうと言えるのかハッキリ言える力が自分にはないので読んでみた。

ヒュームの法則によれば、「~である」という命題から「~すべきである」という推論を引き出すことは不可能であった。

(『社会科学の哲学入門より』)

nainaiteiyan.hatenablog.com

そういう意味では、道徳を客観化する試みは不毛に思えるが、その「理由」について勉強することは無意味ではない。

今日は興味のあるページを読み込んでみた。

ビジネス倫理学の領域においては、概ね「功利主義」が支持されると書かれていた。

・・・

理論を突き詰める人も必要であるし、応用させることを考える人も必要であると感じた。

倫理の本を読むと非常に細かいことを論じていて頭が痛くなりそうになるが、倫理は医療、環境、ビジネス、政治と、あらゆる物事に当てはめることができる。

数学的に言えば、方程式が世界中にちりばめられていて、倫理法則を「代入」することで何らかの解は得られる、そのように思う。

しかしその方程式はほぼ無限にある。

それを総括するのが道徳哲学、政治哲学のように感じた。

この二つの分野は深いレベルで考えるときには倫理学も時には要請されるであろうから、決して不毛な学問ではないと感じた。

公開日2022/8/7

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