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読書日記584

高橋昌一郎『20世紀論争史 現代思想の源泉』光文社新書(2021)

■株式会社光文社

公式HP:https://www.kobunsha.com/

公式X(旧 Twitter):https://twitter.com/kobunsha_cs?ref_src=twsrc%5Egoogle%7Ctwcamp%5Eserp%7Ctwgr%5Eauthor

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つづきを読み進めた。

https://labo-dokusyo-fukurou.net/2024/05/26/%e8%aa%ad%e6%9b%b8%e6%97%a5%e8%a8%98556/

  

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メモ

”公理系Sの命題Xが証明可能か反証可能のどちらかであるとき、XをSで「決定可能」と呼ぶ。公理系Sのすべての命題が決定可能であるとき、Sを「完全」と呼び、それ以外のときSを「不完全」と呼ぶ。” P122

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日記

150ページほど読み進めた。

かなり前にゲーデルの不完全性定理をさくっと読んだが、知ったかぶりになっていたと痛感。

それほど単純でもなく、単純すぎる理解は誤解を招くということを今日理解した。

常に全体は部分より大きいとは限らないということがカントールの集合論によって明らかになったことや、「論理主義」「形式主義」「直観主義」にまつわる論争を知ることができた。

ノイマンは数学が抽象的になりすぎることに危機を訴えた。

(原爆実験のし過ぎで被爆し、53歳で亡くなったとされる)

それは、数学が「芸術のための芸術」に成り下がるからであるとされた。

数学は経験から導かれるべきであるという話が印象的であった。

最近は、新書はあまり読まないが、この本は読みやすく内容が濃いと感じた。

公開日2022/8/7

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