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新・読書日記59

マーシャル・マクルーハン『グーテンベルクの銀河系 活字人間の形成』みすず書房(1986)

■株式会社 みすず書房

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       川上未映子『黄色い家』中央公論新社(2023)

■株式会社中央公論新社

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日記

『黄色い家』

通勤時間にちまちま読んでいるものの、いっこうに読み終わらない。

平凡な日常がつづくと思いきや、状況は少しずつ悪い方向に傾いていくように思える。

ネタ晴らししない程度に、ギリギリ書けることだけ少し。

  

主人公の伊藤花は、ちょっと危ないお仕事に手を出してしまった。

巧妙な手口とは言えないが、よくそんなこと思いつくなというよりも、犯行の手口の描写があまりに細かく、どうやってその情報を仕入れたのかが逆に気になってしまうところであった。

「(お金を)持っている奴は持ち続け、持っていないものはいつまでも貧乏になるように社会は作られている」

といったようなニュアンスの言葉が書かれていた。

話が少しナイーブな展開になってきた。

こういうことを聞くと自分はすぐに格差の再生産について考えてしまう。

トマ・ピケティ『21世紀の資本』を自分では読んでいないが、労働者はどう頑張っても資本家には勝てないという、富める者はただ富んでいき、そうでないものはいつまでも現状から抜け出せないという、蟻地獄のような物語である。

  

この物語がどこに向かっていくのか。こういう本は、いっきに読まず、やはり少しずつ読むべきか。

 

・・・

『グーテンベルクの銀河系 活字人間の形成』

読書という行為、書物というメディアは現代社会のなかで、どのような意義や役割を持つのか。

こういう真面目な話をするとしらける人もなかにはいるかもしれないが、自分はそうは感じない。

いっとき、シェア本棚をもったこともあり、フリマで本を実際に販売した経験もある。

というのも、いっときは独立系の本屋に、自分もなってみようと思ったからであった。

しかしながら情熱と資金面の問題で頓挫してしまった。そして地道に本について考える日々が続いている。

  

読書そのものが社会に、人間に、どういう効果を持っているのかを実証的に研究するのは難しいと自分は考えている。こういうものは簡単には数値化できないからである。

しかしながら、目に見えないものの力を自分は疑いきれないでいる。

メディア論について少しずつ読むことにしている。ということで、今週はしばらくマクルーハン。

  

識字率の低い社会では、映画を理解するのが難しいと誰かが書いていたのを覚えている。

マクルーハンも似たようなことをこの本のなかで書いている。映像の認識の仕方が識字率の高い国の人々と異なるという。(識字率の高い国の人が映画で気が付けなかったことが、低い国の人では簡単に気が付けてしまう)

他にも、精神分裂病と識字率の相関について書かれていたりする。非常に興味深い。ひとつひとつの論考が奥深いのでなかなか読み進まないのが難点だ。

  

ベイトソンをすぐに思い出した。デカルト以後、ダブルバインドによって統合失調症の患者が増えることになるが、これは識字率との相関性がかなり高いのかもしれない。しかしどうしてなのか。

 

言葉は力だとはよく言われるが、ある意味諸刃の剣。

正しく使えなければそれはむしろ毒となり、本を読むことが毒書になってしまう。

実際、自己啓発書の類の本を読み過ぎて洗脳されてしまったかのようなふるまいを見せる人はいた。

だから読書を無理やりすすめることはあまり人のためにはならないと、どこか諦めてしまっている自分がいる。これが書店を持ちたいという気を失せさせた原因だと今では思っている。

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