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読書日記603

       宮崎駿『折り返し点: 1997~2008』岩波書店(2008)

■株式会社岩波書店

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日記

先週、約20年ぶりに映画もののけ姫を観た。

子供の頃に観た印象としては、端的に不気味で退屈な映画、というものであった。

本書ではもののけ姫がそもそもエンターテイメントとして成立するのか、当時は戸惑いがあった面などが語られた。

監督もその点は勿論承知のうえでも、それでも子供に観てほしいと思っていたのだそう。

もののけ姫は「悪者」が誰なのかがハッキリしない。そのように語られていた。

たしかに、エボシは森からすれば悪者であるが、人間からすれば弱者にいたわる面があり善人にも見える。

物語の終盤に向かっていくうちに、犬神モロやエボシ、シシ神等の攻防が複雑に交差していく。

このわからなさは恐らく表現されるべきものであったように思う。

端的に、現実は不可知なものである。

現実は分かるようで分からない。

この映画は考えることの大切さを訴えていたように思うが、本人も恐らく本当のことを分かっていない。

曖昧さを残すことで、この映画の完結性を回避したのだと感じた。

問いかけは収束することもなく、いずれは映画を観た、当時子供だった若者が大人になっていくプロセスのなかでも、絶えず問いかけは各々のなかで繰り返される。

そのような狙いがあったのだろう。

余談にはなるが、小林秀雄『批評家失格』に「現実は不可知である」と書かれていたので、そこにピンとくるものがあった。

公開日2022/8/14

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