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つづきを読み進めた。
メモ
『文学は〈人間学〉だ。』
“「両極、矛盾の塊である人間、両極のどちらも片づけない、手放さないで、それを抱えていく、人間を問い詰めていく。それが文学だ」” P5
・・・
『ジャック・デリダ』
“信についてラディカルに思考することはデリダの関心事であり、(・・・)” P74
“デリダは、「私たちが口を開くや否や、約束することは不可避である」(1988:102)という観念に、言い換えるならば、「約束することのない発話は存在しない」、「未来にコミット」(1988:102)しない発言は存在しない」という観念に、こだわっている。” P74
・・・
『グーテンベルクの銀河系 活字人間の形成』
“人間の認識様式が視覚型から聴覚へと移行しつつあるこの電子技術時代にあって(・・・)” P44
ハイゼンベルク「人間と自然の相互作用の一部としての科学」より
“機械を使う人間は自分の仕事を機械的にやるようになる。自分の仕事を機械的にやる人間は心まで機械にようになってしまう。機械のような心を抱く男はもって生まれた素朴さを失う。 “ P50
“興味のもてない仕事を誠実に行うためには以前よりも強い意志力が必要となり、興味の欠如は疲労につながるようになる。”P56
・・・
日記
『グーテンベルクの銀河系 活字人間の形成』の論考は興味深い。
社会科学は、とりわけデュルケームは社会構造とパーソナリティの関係性に着目していたが、本書はテクノロジーがいかに人間の行動様式に影響を与えていくのかを考える際にヒントを与えてくれるものだと感じた。
機械に囲まれた環境で仕事をしていくと自身の行動までも機械的になるというのは、ある意味当たり前で、だからこそあらゆる仕事が機械に置き換わっていくのである。端から機械的でない仕事など存在しなかった。否。それは近代以前の話である。
なんのためにテクノロジーは存在するのだろうか。
自分なりに少し考えた結果、それは以前よりも欲望を充足しようとする運動を生み出すために存在する。
不満と満足の、永遠の反復である。
テクノロジーは人間が持つ機能の拡張とされる。ゆえに、中心にいるのはあくまで人間である。
欲望なき世界におそらくテクノロジーは存在しない。
問題は、不満と満足の反復運動のなかで過程を楽しむ時間が短縮されていくということだ。
限界効用逓減の法則が不満と満足に必要なエネルギーを絶えず増殖させる。
抽象的に書いたので、少し具体的に書いておく。
スノボに行くとする。現地に早く到着することに越したことはない。
仮に、リニアモーターカーのようなものがあると仮定する。バスで3時間かけていけるところを、20分で行けるようになったとする。
すると当然、スノボに割ける時間は増える。一日に何時間も滑っていられる。
しかし最後までビールが最初の一杯ほど美味しくは感じないように、延々とつづくスノボも、いつかは飽きるはずである。
敢えて時間を少しだけかけて現地に向かうこと自体にも何らかの楽しみの要素はある。それをテクノロジーは消去する。
スノボの例はやや極端かもしれない。
ではメッセージのやりとりなどはどうだろうか。
遠い昔、手紙は何日もかけてようやく本人にもとに渡った。いわゆる往復書簡と呼ばれるジャンルの本では、メッセージのやりとり自体にどこか芸術的な価値が存在するように思える。
一瞬でメッセージが届かないという制約で、加えて一度送ったら送信取り消しもできず、修正できない制約のなか、誤読を避けるためにも、文章力に磨きをかけなければならない。
恋文などは書くこと自体に喜びもあったと想像される。今では数分考えてタップすればすぐに受信されて読まれる。
・・・
人は模倣することについて考えるが、自分が無意識になにかに模倣「されてしまっている」ことは考えないかもしれない。
テクノロジーが人間に与えるものは本書の論考にいろいろと書かれているが、そのひとつとして、テクノロジーの合理性、利便性との引き換えに、失っているもの(過程を楽しむということ、つまり手段そのものを価値として享受すること)が確実に存在するということである。そしてその価値は往々にして目的(結果)を上回ることもあるということではないだろうか。