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読書日記615

  テリー・イーグルトン『文学とは何か――現代批評理論への招待(上)』岩波文庫(2014)

■株式会社岩波書店

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つづきをよみすすめた。

https://labo-dokusyo-fukurou.net/2024/06/01/%e8%aa%ad%e6%9b%b8%e6%97%a5%e8%a8%98613/

  

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メモ

解釈学的現象学⇔ハイデガー

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日記

フッサール哲学は「意味は言語に先行する」ことを前提にするものあった。
しかしながら、意味の「所有」の仕方について答えることができなかったとイーグルトンは述べている。

言語のない状態を想像することはほぼ不可能のように感じる。
ハイデガーは「存在」の観点からフッサール哲学を批判。
意味を構成するものは世界の外部にはみ出し得ない。

ハイデガーの論じ方は解釈学的現象学と言われる。

どの本に書いてあったのか忘れてしまったが、今日フッサールの立場を回復させる試みが行われていると書いてあった。
フッサール哲学の限界を超えることができるのか、その動向には少なからず興味はある。

・・・

認知行動療法の要は「認知=意味」の更新である。
非合理的な「認知=意味」を破棄し、合理的な「意味」へと書き換えを行う。
言語に先行する意味の存在を認めると、直感的にはその理論に行き詰まりを感じてしまう。

公開日2022/8/18

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