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つづきを読み進めた。
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日記
第三章の終わりまで読みすすめた。
居眠りをしてしまったが、今日はしっかりと睡眠を取ったので、昼も集中して読めた。
あっという間に100ページまですすんだ。
仲正氏によるG氏のマルクス解釈が語られた。
結論としては、G氏の定義した主体性「差異の戯れ」がG氏のNAM理論において矛盾した形となって表れているというものであった。
デリダの「差延」は、自己再生産し続けるエクリチュール (書き言葉) の連鎖において、偶発的に逸脱することで新たな意味が後から主体についてくるというものであり、G氏は当初この考えに依拠しながら、主体がシニフィアンとシニフィエとの「間」から発生する、自然発生的なものであるとした。
ところがNAM理論において想定される主体は、以上のように定義した主体と矛盾していると仲正氏は指摘した。
ここが、やはりG氏の甘さであり、一流の知識人とは思えない所以である。
勿論、ただの素人の私が偉そうに物を言える立場にはない。このことを自分で指摘できるくらいになら
なければ論客にすらなれないことは自覚している。
ただ、知識人の言うことには常に批判的であるべきだ、くらいは言えると考えている。
公開日2022/8/23