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読書日記628

  テリー・イーグルトン『文学とは何か――現代批評理論への招待(上)』岩波文庫(2014)

■株式会社岩波書店

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つづきをよみすすめた。

https://labo-dokusyo-fukurou.net/2024/06/01/%e8%aa%ad%e6%9b%b8%e6%97%a5%e8%a8%98620/

  

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メモ

“フィッシュにとって、読書は、テクストの意味の発見ではなくて、テクストがあなたに対して働きかけるものを体験する過程である。” P206

理論の決定不完全性・・・・いかなるデータでもこれを証明するには複数の理論を必要とする状態。

イーグルトン「言語とは私たちを根底から作り上げる社会的磁場である。」

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日記

第二章「現象学、解釈学、受容理論」を読み終えた。

この章の結論から先に書くと、イーグルトンが本の最初に問いかけた「文学に社会的価値はあるのか」という問題に対する答えとしては、現象学、解釈学、受容理論へと横断的に論じた末に、「社会的現実に関する多かれ少なかれ確定的な読解」を行うことに懸けられているということであった。

第三章が「構造主義と記号論」となっているのは、この課題に応答可能な手段と考えられていたからである。

・・・

ハイデガーという言葉を聞いただけで頭が痛くなる思いではあるが、ここにハイデガーと文学の接点が微かに伺えた。

作品には本人が気づかないレベルにおいて、「歴史的な背景」に規定される何か、すなわちなんらかの「存在」というものを調べあげることによりコンテクストの連鎖(デリダいう差延)なるものが見えてくる可能性はある。

20世紀の哲学者や批評家は往々にしてそういう「脱構築」を批評の手段として用いていたことは他の書物から確認している。(ポール・ド・マン等)

現代の科学力では定量的に記述し得ない人間の「精神」というものの真髄を明らかにするのは、科学のみならず人文にもその役割はあると思う。

本書を通じて人文の社会的意義について再び考える機会を与えてくれたと感じている。

(ますます経済偏重のこの世の中において)

つづく

公開日2022/8/24

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