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読書日記631

アドルフ・ヒトラー『わが闘争(上)』角川文庫(1973)

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メモ

なし

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日記

翻訳者は、この本を訳すことに意義があるか葛藤があったと書いてあった。

その後、時代的に意義があると考えるにいたり出版されることになったと書いてあった。

私もまた、この本を読むことには意義があると考えている。

批判的に読まなければならないのは言うまでもない。

まずはじっくりと60ページほど読んだ。

一般的に知られているように、ヒトラーの青春時代は「なにもの」でもない、貧窮に耐えつづけるしがない「画家」であった。

また、芸術の観点から「建築家」になることを志していたと書かれている。

それと同時に、政治についても度々言及されていた。

ヒトラーの少年時代においては、特に偏った思想は認められないと思われる。

むしろ、政治的な批評を行うには、政治の勉強を行ったものにしか権利はない、と書くほどある意味では「真面目」な側面もあるように伺える。

国家主義と愛国主義の違いを早くも学びとり、前者を理想として考えていた点はのちの悲惨な歴史に繋がる点ではあるだろう。

また、ヒトラーは読書家であった。

60項には彼の読書法までも書かれている。

批判的にのべるならば、彼は実践に偏向している向きがある。

役に立たないものは読む価値はない、と断言している点は「合理主義」の側面が強い。

アメリカの反知性主義に似ている点もある。

とはいえ、まだ本書をほんの少ししかかじっていないのでまだ推察に過ぎない。

「環境は意識を規定する」というのは私の仮説であるが、ヒトラーという「存在」は少なくとも何かに「規定」されている面もあるだろう、と考えながら本書を読んでいく。

つづく

公開日2022/8/26

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