■株式会社岩波書店
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日記
つづきをよみすすめた。
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メモ
”歴史的事実とは、むしろ社会をなす個人と個人とのあいだの相互関係をめぐる事実であり、当人たちが意図した結果とはズレて時には相反する結果を生じるような社会諸力をめぐる事実であります” P80
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日記
カーは歴史的事実を心理学に還元することの浅はかさを語る。
私は考えさせられた。
昨日はナチズムについて考えた。
卵が先か、鶏が先か。
社会が先か、個人が先か。
カーは原始的社会と先進国を対比させ、人間の多様性は先進国のほうが幅が広いことを語る。
これが何を意味するのか。
考えさせられた。
ロビンソン・クルーソーのような無人島で暮らす少数の社会は、現代人が持ち得る様々な心理から解放された、ある意味自由な世界なのだろうか。
たしかに、余計な心配事は少ないかもしれない。
借金、失業、あらゆる請求書、、、
人間の本質は社会の本質に依存するのだろうか。
道徳とはどこまでも社会的なもので、実は虚構に近いものなのだろうか。
そして正義というものも実は社会の産物にすぎないのか。
歴史を学ばなければ見えてこないように感じた。
そして、狭い専門分野のなかで狭い視野の研究(特に人文)に何らかの意味があるのか、こちらも考えさせられた。
しかし、無駄な研究ほど実は意義がある、そういうことも忘れてはならないとも思った。
つづく
公開日2022/9/4