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メモ
池田晶子「存在の真実、それは存在の内容と形式が矛盾することである」
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日記
移植手術とアニミズム(全ての物質には魂のようなものが宿っているという考え方)について語られた。非常に面白く、考えさせられる章であった。
脳死判定された遺体の臓器は、移植手術を待っている人に提供される。
しかし、現状としては「脳」はその対象外である。
社会的価値という眼鏡から見れば、「私」であると科学的に考えられている「脳」は最も価値のない器官という帰結になる。
池田晶子氏は、生きていることは尊く素晴らしいものであるという社会的な価値観(建前のようなもの)をここに見る。
死んでしまった「私=脳」は生きていないので価値がない、という裏付けになる。
生きているかどうか。相対的な価値体系。
しかし、心臓を移植してもらった患者が身に覚えのない記憶を想起する話はままある。
心臓や他の臓器にもなんらかの記憶が宿っているという見方をする人は少なくない。
私は数分、深く考えてみた。
・・・
脳自体は「私」ではない。
知覚は神経を通じて脳で再現されるように、脳はまとめあげる器官であると思われる。
脳自体に知覚はない。
脳は「再現」する器官。
映画館で例えるならば、脳はただの映像に過ぎない。
感覚。思考。想像。想起。
身体全体に意識やその他記憶等が散在していて、それを統合させるのが脳であると思う気もしなくはない。
ここまで来ると思考が止まってしまう。
アニミズムについてあまり考えることはなかったが、ヘーゲル『精神現象学』のいわんとしていることと結びつけて考えるとこの章は非常に奥が深い。
公開日2022/9/5