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読書日記658

池田晶子『考える人』中公文庫(1998)

■株式会社中央公論新社

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日記

もう一度初めからゆっくり読み進めてみた。

印象的であったこと、感じたことを書き残しておく。

表裏一体。

池田晶子氏は「ある」という概念なしに「ない」ことを語れないと言う。

そして逆も同様、「なし」という概念なしに「ある」ことを語れない。

既に「在る」論理構造。

人は思考するときに、ある一定の論理形式に従って物事を理解する。

そのとき、いちいち人は何故その論理形式が「存在」するのか問わない。

その論理構造は自分で創造したものではない。

赤ん坊から成長していく過程で自ずと理解し、それに従って物事を考えるようになる。

ごく少数の人を除いて、「なぜそうなっているのか」問うことをせずとも、人々は半ば導かれるようにその論理形式に沿って物事を進めていく。

・・・

表裏一体。

辞書で単語を調べ、そこに書いてある単語をまた調べる。それは永遠に止まらない。

トートロジー。

科学はいかにして宇宙が始まったかをビッグバンで説明する。

何故ビッグバンが起きたのか。

それを説明することもまたトートロジーとなる。

全てが円環構造であり、かつフラクタル構造となっている。

ここに神秘を感じた。

つづく

公開日2022/9/5

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