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メモ
“(・・・)経済活動は、その内部に精神的目標となるものを最初からたいして組み込んでいないので、経済活動の意味づけは、外部から移入せねばならなくなるのだが、あいにくつぎはぎ部分がぶざまなまでに目立ってしまった。” P102 『文化と神の死』
“カントは、偶像の造型を禁じたことでも有名だが、道徳的法はあらゆる感覚的図像を崇高なかたちで凌駕するとみていた。” P108 『文化と神の死』
テリー・イーグルトン「理性と感覚とをリンクさせることは美学の役割である」
日記
『オデュッセイア 上』
これを読まずして西欧のなにが分かるのかという内なる声に抗えず、少しずつ読んでみることにした。
『黄色い家』の次に読む小説に迷っていたので、ちょうど良い機会だと思い、ホメロスに決めた。
2000年以上語り継がれる物語というのは、内容はどうあれ、その歴史性に驚きを禁じ得ない。
今日、どれほどの小説が未来に残るというのだろうか。1000年後に残る物語を、私たちは書けるだろうか。残せるのだろうか。
ひとまず一章を読み終えた。父が帰国できないので、その救出(?)に向かう直前で本書を閉じた。
・・・
『文化と神の死』
本書を読んでいて、シラーとシャフツベリーの二人が、自分の考えと感覚に近いと感じた。
美的な経験は人の内部に調和を与える。聞こえは良いが、実際そのようになっているのかというと、それは難しい気がしている。
美学を政治に利用されてしまうとナチスのようになると言われているが(政治の美学化)、かといってゴリゴリの、合理性を絶対とする、合理主義にも行き詰まりがあることが判明し(啓蒙の弁証法)、私たちはどう生きるか、という問いは現代思想においても難問となってしまっている。
結局のところ、一番正解に近い説(正解と思わせられる説得力のある回答)を提出しているのは、なんだかんだ執行草舟氏だと今も自分は思っている。
ただ目の前に集中する。カントの無目的の合目的性と共鳴し、小室直樹の「行動的禁欲」とも交差する。
それに対して、西欧の人間はどのような規範が最も有力なものだと信じているのだろうか。
この本からなにか少しでも拾えることを祈りたい。