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読書日記670

        池田晶子『考える人』中公文庫(1998)

■株式会社中央公論新社

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つづきを読み進めた。

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日記

フッサールとハイデガー、ベルクソンの章を読んだ。

1ページ1ページの密度が濃いのでやや疲れてしまった。

「主体/客体」の二分法に囚われたフッサールの転倒について「気の毒だ」と池田氏は語る。

ハイデガー『存在と時間』については、ねちねちしていてると語るが、読んでみるとフッサールとは違い、その思想の深みが伝わった。

ロゴス、言葉の神秘性とは、結局のところ理性(=思考)が一点に集結する(つまりは、様様々な哲学者が同じような考えに至る)ところである、そのように語る。(意訳)

「思考のうちで存在が言葉となって現れてくるのである」

「生ー死」の二分法は真理か、はたまた「生ー物質」か。もしくはそれ以外か。

現代科学はその答えをできるほどの材料を持ち合わせていない。

池田晶子氏は、晩年のハイデガーはアカデミックの限界を感じたに違いないと語る。

表現としての学問か、「口伝=オラクル」か。

池田晶子氏がなぜ大学院には行かなかったのか、なぜプラトンが対話形式で物事を語るのか。

ポスト構造主義が行き詰まっているように見えるのはここにヒントがあるのではないか。

つづく

公開日2022-09-13


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