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読書日記691

  モリス・バーマン『デカルトからベイトソンへ ――世界の再魔術化』文藝春秋(2019)

■株式会社文藝春秋

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日記

前回では、オカルトと「相似」についてこれから考察されていく、と書いて記事を終わりにした。

今日の感想としては、重要な部分は相似ではない印象を抱いた。

とはいえ、銀から金へ変えようとする試みが、精神修行として、自分の中の光輝く黄金(高尚な精神)を見つけ出す過程と重なる、という相似には理解できるものもあった。

この内容と章の結論のつながりがいまいち理解できなかった。

・・・

「精神疾患の大部分はヘルメス的世界認識への回帰である。」

第三章以降の内容は宗教と錬金術の対立が語られ、西洋の歴史理解が足らない自分にはやや理解が難しいように感じた。

しかしながらも、最後の論旨にはうなずけるものがあった。

認知行動療法は「主体ー客体」と分離された心身二元論からの脱却をはかるものでもあり、主体と客体の相互関係を前提にしている。

(「気分が悪い、うつだ」⇒原因は精神ではなく身体なのではないか、という考え方。また。朝に身体を動かすとのちに気分がよくなり(セロトニンの分泌)、よく眠れることが多い。)

著者によれば、あらゆる心理療法(認知行動療法、音楽療法、芸術療法など)は主体と客体を融合させるものだとされる。

著者はレイン『引き裂かれた自己』の内容を引用しながら、分裂病患者が語る世界観はヘルメス主義的世界観と一致していることを見出す。

分裂病とは、主体と客体の見分けがつかないものとされる。

つまり、自分と外側の区別がつかなくなることである。(妄想など、非論理性が顕著)

頬に雨が落ちると分裂病患者は区別ができず、それが自分の涙だと理解するということが本書で書かれている。

この見方、認識が近代以前の「参加する意識」へと迂回しているということである。

狂気は病気ではなく、抑圧された結果なんらかの「実在」として現れる現象なのではないか、という見方もできなくはないのではないだろうか。個人的にはそのように感じた。

宗教と錬金術の対立の末、何故認識論のパラダイム転回が起きたのか、その具体的な理由については今日の段階ではまだ書かれていなかった。

しかしながら、現代の精神疾患の原因を説明する重要なヒントを得たような気がする。

できれば次回以降は無意識とアニミズムの関係などを理解できれば、と思った。

つづく

公開日2022/9/25

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