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つづきをよみすすめた。
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日記
前回では、分裂病患者の言動に「ヘルメス的世界認識」への回帰がみてとれることが分かった。
また、心理療法は全て心身二元論(つまりは、心とからだは一緒ではなく違うものという考え方)から脱却する試みであることも確認した。
主体客体の区別がつかない分裂病は、現代社会においては精神病理とみなされるが、認識論からすれば近代への回帰であった。
・・・
著者は、デカルト的パラダイムに従った世界(つまりは現代)において、私たちは往々にして「参加する意識(つまりはアニミズム的な物の見方)」を否定することが前提にもかかわらず、それが現実世界に染み込んでいることを指摘した。
オーウェン・バーフィールド『目に見える世界を救う』の内容を引用し、ひとつの絵が二つの絵に見える現象を引き合いにし、この参加する意識の浸透性を明かす。(ゲシュタルト的認知)
「もの」と「イメージ」の関係について考えるプロセス(≒表象行為)をバーフィールドは「アルファ思考」と名付けた。
この認知のプロセスは必然的に「文化」が隙間なく入り込んでくる。
当たり前であるが、車の絵を千年前の人が見たところで、それが「車」の絵であると認知することはできない。
しかし、子供はどこの国の言語でもなんなく覚える。
マイケル・ポラン二ー『個人的知識』では、その学習プロセスのなかには自分でも意識できないサブリミナルなものがあり、それを「副次的知覚」と呼んだ。
科学的事実なるものは科学の枠内における事実であり、「副次的知覚」に毛が生えたようなものである。
そして、日常的に生活していくなかで私たちは無意識に「アルファ思考」によって現実世界をつくっていく。
客観的な概念はあるのか。
ここまでふりかえると、ポランニー『個人的知覚』を鑑みれば「無意識」というものを突き詰めずに現実を捉え、それが言語なり知識として現れてくる。
しかし「夢」は現実にあるが、客観的ではない。(あくまで個人の体験としてという意味で)
でも夢を事実あるものとして認めている。違和感が残る。
著者は、
”自然を客観的=合理的=機械論的にのみ見る視点は、客観を超えた現実(つまりは夢など)に依存していながらもそれを否定しているのであって、アルファ思考と意識の構築物のみを記述しているにすぎない” P168
と書いている。
要するに、無意識や暗黙知を内包するもう一歩踏み込んだ認識論がなければならないのである。
長くなってしまったが、今日の読書で、無意識とアニミズムは科学でまだ捉えきれていない超越した領域(あるいは形而上学的な領域)でなんらかのつながりがあるように感じた。
つづく
公開日2022/9/26