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読書日記695

           奥野克巳『今日のアニミズム』以文社(2021)

■株式会社以文社

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  モリス・バーマン『デカルトからベイトソンへ ――世界の再魔術化』文藝春秋(2019)

■株式会社文藝春秋

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日記

もののけ姫を観てから今日まで様々な本を横断しながらいろいろと考えてきた。

今日は『デカルトからベイトソンへ』を読み、自我というものが近代以降に結晶化したものとされる考え方について思いをめぐらせた。

自然と一体化した太古の人間には今でいう「自意識」という概念がほとんどなかった可能性について書かれていた。

また、赤ん坊が生まれてから意識が芽生えるプロセスと「自意識」の関係について思いをめぐらせた。

・・・

ビッグバンが起きてからわずか一秒で素粒子や光などが誕生したのだそうである。

それと同じように、一秒とまではいかないまでも赤ん坊にも意識や言葉が次第に備わっていく。

しかし、宇宙の謎が解明されていないように、赤ん坊と意識の関係についても不明な部分は多いように思う。

文化が自我意識を結晶化させている可能性について書かれていた。

自意識は「参加しない意識」が外側から見た自分に対する意識である。

であれば、自然と一体化し、「内側/外側」の概念のない「参加する意識」には自意識は生まれない道理である。

しかし『デカルトからベイトソンへ』の命題はいかにして新しい認識論を成立させるかであり、自意識はメインテーマではない。

『今日のアニミズム』においても認識論に関して、アクターネットワーク理論(ANT)と絡めて論じられていた。

読んでみるとANTは松岡正剛氏の「編集工学」と似ていると感じた。

「知」同士がつながり合う。知のネットワーク化。

しかしそれでは根本的相対主義(つまり真理はないという見方)から脱却できないように感じた。

いろいろとテーマが拡散してしまったが、とにもかくにも精神疾患は文化的な要因がかなり強いのではないか、という実感がいよいよ増してきた。

大事なことは科学を否定するのではなく、目を養うことであると思った。

公開日2022/9/27

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