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メモ
池田晶子「もしも他人の動向が気になるのなら、それは自分で考えていないことのまぎれもない証拠である」
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日記
機械に心はやどりうるのか。
機械と心について池田晶子は語る。
機械に心が備わるとすれば、草や木はどうなのだろうか。
その前に「心とはなにか」の決着がついてない。
なにを持って心があるというのか。
その問いは認識論へと展開し、池田晶子にとっても難しいトピックであると語る。
自由意志問題もしかり。
自由とは何かが分かっていないでなぜこの問いに答えることができるのか。
・・・
プラトンの「想起」について語られた。
考えられないことは「無いもの」であって、考えられることはすなわち「在る」ことによる。
当たり前であるが、例えばドゥルーズが言う「哲学とは概念を創造すること」とは、つまるところ、既に「在る」けれども「まだ思い出せていない」ようなことを見つける営みにすぎない。
無いものは語ることが不可能であり、考えることもまた不可能という当たり前なことを確認。
つまり、「アイデアを作る」ことと何一つ変わらない。
そんなことどこの会社でもやっているではないか。
企画立案。
哲学はビジネスに成り下がったか?
・・・
絶対的な真理を認めない立場を「真理デフレ論者」と呼ぶそうである。
池田晶子はまぎれもなく「真理論者」である。
そして、私としては見事にこの両者が対照的な営みを行っているように見えるのである。
ハイデガーは真理論者の位置付けとのことであるが、ハイデガー研究者の日下部吉信氏は『ギリシア哲学30講』において、プラトンへの批判を展開している。
なかなかモチベーションが保てず止まっている。
「プラトンVSハイデガー」。
個人的には、この対立を読み解く鍵として『デカルトからベイトソンへ』の「参加する意識」がキーワードになるのではないかと考えている。
公開日2022/9/28