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読書日記699

  モリス・バーマン『デカルトからベイトソンへ ――世界の再魔術化』文藝春秋(2019)

■株式会社文藝春秋

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つづきを読み進めた。

https://labo-dokusyo-fukurou.net/2024/06/08/%e8%aa%ad%e6%9b%b8%e6%97%a5%e8%a8%98698/

  

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日記

第7章まで読み終えた。

端的に、本書を完璧に理解するには長期間のまとまった時間がいると感じた。

しかし完璧主義には弊害があって、大事なことは問題意識を著者と共有することである。

・・・

・ルールA

~してはならない

・ルールA1

ルールAは存在しない

・ルールA2

ルールA、A1、A2が存在するか否かを論じてはならない

この「ダブル・バインド」によって狂気が生まれると著者は述べる。

あれもこれもやってはならない、やらないのもダメ。

そしてその矛盾も指摘してはダメ。

そして、狂気は自己保存の為のロジックであると著者は語る。

分裂病患者は幼い頃からダブル・バインドに苦しめられ、生きる戦略としてメタコミュニケーションを放棄する。

正気はデカルト的世界によって構成される学習Ⅱ、「ダブル・バインド」を習得してそれを「現実」であると呼ぶ態度であり、その人間たちによって成り立つ社会であると述べた。

打開策は学習Ⅱについて学ぶこと、つまり学習Ⅲの登場である。

・・・

感想としては、社会は矛盾に溢れているという言葉のイメージが少し具体的になった。

パラドックスが「現実」として構成された世界、そのように表現ができるだろう。

世の中はアナログなメタコミュニケーションに溢れている。

本音と建前。

この言葉は本来両立し得ないがデカルト的に構成された世界においては「現実」として構成される。

それが当たり前なことになる。現実なのだから。

かくしてパラドックスに立ち向かうと現実に苦しむことになる。

なぜ苦しいのか。

それは矛盾と向き合うからだ。

矛盾を現実と捉えることは正義か。

こんなことを考え始めると泥沼にハマりかねない。

一旦休憩したい。

公開日2022/9/30

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