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読書日記702

      ティム・インゴルド『生きていること』左右社(2021)

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    矢倉英隆『免疫学者のパリ心景 新しい「知のエティック」を求めて』(2022)

■医歯薬出版株式会社

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日記

人類学を学ぶことは大事だ、そのように言われたことがあった。

しかし、自分にとって人類学は医学と同じように縁のないものだと捉えていた。

何回か書いたが、やはりAIの時代に人類学は際立って重要性が増しているように見える。

著者は、今日の視覚論を批判する。

光の現象を全く扱っていないのだそうである。

このあたりの分野には詳しくないのでひとまずメモするにとどまったが、なんとなく察する。

なにせ、読まれない論文のほうが多い人文系である。

アカデミズムのための研究、権威のためのアカデミズムといった倒錯状態に陥っているのではないかと感じた。

本書は難しいが、人類学は科学と対照的で、統制された実験室というものが存在しない。

また、文学とも違い、図書館にこもるようなこともほぼない。

この特殊性を持った学問であるということを再認識した。

・・・

免疫学者によるエッセイではディオゲネスについて語られた。

ジェニー・オデル『何もしない』のなかでもこの人物について触れられていた。

プラトンに「狂ったソクラテス」と言われるほど徹底した思想を持っていた。

ディオゲネスは「自由」のなかで徳というものを探求した人物であるとされている。

挑発的で反権力。

この態度に惹かれるものがあるが過激派でもある。

プログラム通りに動く社会のなかで自らが「バグ」になるような存在である。

いや、プログラムを破壊するウイルスかもしれない。

生き方について考えれば自ずと政治についても考えざるを得ない。

しかし現代の錯綜した政治状態のなかで答えはそう簡単に見つからない。

村田沙耶香のいう『工場』のなかの部品となるか、拒絶しつづけるか。

そんなことを考えても生活が豊かになるわけではない。

むしろ哲学ばかりやると苦しくなるばかりである。

今日はエピキュリアンについて学ぶ。

快楽にも様々な種類がある。

不快な状態から脱することも快とみなせる。

エピキュリアンの思想は快楽の過剰な追求ではなく、不快を取り除く思想であることが語られる。また、著者自身がエピキュリアンであることも語る。

しかしどうだろう。

哲学には様々な派閥があり、全体的に流派が拡散しつつあるこの哲学史の相対主義的状況のなかに果たして普遍性などあるのだろうか。

公開日2022/10/1

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