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モリス・バーマン『デカルトからベイトソンへ』読了

  モリス・バーマン『デカルトからベイトソンへ ――世界の再魔術化』文藝春秋(2019)

■株式会社文藝春秋

公式HP:https://www.bunshun.co.jp/

公式X(旧 Twitter):https://twitter.com/bungeishunju

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つづきを読みおえた。

https://labo-dokusyo-fukurou.net/2024/06/09/%e8%aa%ad%e6%9b%b8%e6%97%a5%e8%a8%98710/

  

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感想

本書は西洋文明への批判書としての位置付けであるように感じた。

禅の思想が「瞑想」や「マインドフルネス」、つまりは「参加する意識」として再評価されているように、西洋文明、つまり「参加しない意識」は諸刃の剣として今日まで機能し続けているように感じた。

・・・

また、認識論を考えることは必然的に倫理を考えることでもあり(今日のテクノロジーがいかにして人間に負の効果をもたらしているのかを考察すれば分かる通り)、倫理を考えることは自ずと政治について考えることに繋がる。

もちろん、本書は今日の認識論や文明の全てを否定するものではない。

大事なことは問題提起である。

著者は「脱中央集権化」を提唱する。

地域には固有の生態系があり、個人はベイトソンの認識論「参加する意識」に依拠しながらそれぞれの生態に則した生き方をするべきだと提案した。

ざっくりとまとめれば、自然との関わり方を変えていくべきだ、という内容である。

・・・

本書では2000年頃にヨーロッパ諸国は至るところで小国家化されていくと予想されている。(本書は1989年に刊行)

しかしながら1993年にEUが発足し、むしろ原子から分子、高分子のように結合していっている。

部分的に外れているのである。

また、ベイトソンの全体論は諸刃の剣であることも語られている。

・・・

今日の政治状況をみればどうだろうか。

むしろ技術進歩は加速しつつあり、電車ではスマホ奴隷になっている人が数多いる。

自然に融合せずに技術に融合しつつある現代で何をすべきなのだろうか。

そんなことを考えているうちに結局関心は政治的な方面へと迂回してしまう。

課題は多い。

公開日2022/10/6

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