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読書日記704

     ヴィクトール・フランクル『意味への意志』春秋社(2002)

■株式会社春秋社

公式HP:https://www.shunjusha.co.jp/

公式X(旧 Twitter ):https://x.com/shunjusha?ref_src=twsrc%5Egoogle%7Ctwcamp%5Eserp%7Ctwgr%5Eauthor

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日記

うつ病は甘えだ。

ある側面では正解かもしれない。

この言葉を疑うことなしに受け入れた時期もあり、批判した時期もあった。

どうやら「自己責任」と多いに関係しているようである。

それを約一ヶ月前に書いた。

https://nainaiteiyan.hatenablog.com/entry/2022/09/04/204028

そして今日の読書でフランクルも似たようなことを書いていた。

「自由とは責任を有することである」

ただ、説明が足りない。語彙が足りない。

本質が見えそうで見えない。

・・・

前回の記事で、集団神経症と責任性は負の相関にあることを確認した。

https://labo-dokusyo-fukurou.net/2024/06/08/%e8%aa%ad%e6%9b%b8%e6%97%a5%e8%a8%98697/

これは何を意味するのだろうか。

情熱をもって仕事に勤しむ人と病んでいる人は何が決定的に違うのか。

現時点ではそれを論証することは難しいのかもしれない。

「自己責任」という言葉も今日ではいろいろな意味合いを持つ。

社会思想でいう「ネオリベ」の文脈でそれが意味するものと、「貴重品の管理は自己責任で」といった時の文脈とは剥離がある。

・・・

おそらくはこうだ。

「言い訳があるかどうか」

つまり、自分をごまかしているかどうかである。

アドラー心理学ではある行為について「そうしたいからそうしている」と決めつけたりしている。

どうなのだろうか。

もっと本質があるはずである。

覚悟。使命感。受容。

己の人生の文脈のなかで「責任」という言葉の意味が「不変」であること。

自分が日々使う言葉の意味が常に不変であること。一貫していること。

公開日2022/10/2

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