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読書日記712

千葉雅也『動きすぎてはいけない: ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』河出文庫(2017)

■株式会社河出書房新社

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日記

千葉氏の本の売れ行きは好調で、『動きすぎてはいなけい』は文庫化に至る。

個人的にも、哲学書としては確かにこのような事はそうそう起こらないように思う。

哲学ブームが世の中に再燃することは嬉しい。

・・・

ドゥルーズの基盤はカント、ヒューム、スピノザ、そしてベルクソンにあることを確認。

だからなんだという話ではあるが、本書を読みながら哲学の雑学的な知識が拾えることは読み物として評価されるべきである。

そもそも本書は何について語られているのか。ひとつとして、まず因果性ある。

因果関係についてはヒュームという人物が深く考えていた。

『差異と反復』のほうはヒュームの再解釈ともいえる。

(自分は専門家ではないのであくまで個人の見解)

因果性と連続性の観点から意識について考えたベルクソンに関しても、多少の予備知識的なものを本書から仕入れることができるので、なんというか、哲学マニア、ディレッタントに受けが良かったのだろうなという印象を抱いた。

これらの哲学者について横断的にかつ論理的な解釈をもとに千葉氏の論述が展開されていくわけであるが、正直何を言っているのか分からない。

本書は世の中にどのようなインパクトを与えたのだろうか。

刊行当時の自分は毎日のように残業で仕事漬けであり、本を読む時間と気力がなく哲学的なことしか考えていなかった。

・・・

また、ドゥルーズのデカルト批判についても語られていた。

心身二元論とは、本書の定義に従えば、精神が能動的であると身体は受動的で、かつ身体が能動的である時には精神は受動的であることが真である、という原則である。

ドゥルーズは無意識の存在を引っ張りながら「薬毒分析」なるものを展開する。

(このあたりは難しいので気になるかたはご拝読を)

いろいろなことを考えるものだなと感じる。

つづく

公開日2022/10/5


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