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読書日記750

      小林秀雄『直観を磨くもの: 小林秀雄対話集』新潮文庫(2013)

■株式会社新潮社

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つづきをよみすすめた。

https://labo-dokusyo-fukurou.net/2024/06/14/%e8%aa%ad%e6%9b%b8%e6%97%a5%e8%a8%98742/

   

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日記

量子論について湯川秀樹と小林秀雄の対談がつづく。

なぜミクロの世界では予測が不可能なのか。

対談では実証主義の限界について言及される。

勿論この対談自体は昔の話なので今日の全てに当てはまるものではない。

・・・

観測⇒認識

実証主義は観測のデータが全てを決めるのであって、観測と認識の「あいだ」を問うことはない。

ここになにがしかの限界があるのではないかと話がすすむ。

小林秀雄はこの話の延長線上において、芸術家は物理学者とは対照的に、彼らは見るということを見る、という深い言葉を話す。

予測不可能性とは別言すれば不連続性でもある。

ある作家が不幸な人生を歩んだからといって、小説の内容までもが不幸な内容になるとは限らない。

当たり前ではあるが、「マクロ」の世界において不連続性にみえることなどいくらでも存在している。

この境界線、つまり連続と不連続を分ける決定的な要素とはいったいなにか。

そしてこの問いは言語哲学にも通じる。

つまり、意味は決定不可能なのかどうか、という問いである。

つづく

公開日2022/10/17

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