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新・読書日記78

       ジゼル・ピサロ『文学社会学とはなにか』世界思想社(2017)

■株式会社世界思想社教学社

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             望月清文『生命 科学の忘れ物』水曜社(2023)

■株式会社水曜社

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       執行草舟『生命の理念Ⅰ』講談社エディトリアル(2017)

■株式会社講談社

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日記

通勤中に『文学社会学とはなにか』を少し読み、仕事終わりにそれ以外の二冊を読んだ。

今日は明らかに疲れており普段の4割ほどのペースでしか本が読めなかった。

天気と関係があるのだろうか。カフェで読み始めてもあっという間に意識が吹っ飛び、ページは飛ばさずにはいたが同じページを見つめたまま思考は何も動かず、厳しい一日であった。

  

それでもなんとか風呂上りに『生命 科学の忘れ物』を30分ほど読んでみた。

この本は、ダーウィンの進化論で説明できない現象について深堀りしてく本となっている。

今日は、共通感覚が5万年前の人類の文化的な爆発的成長の解明のカギとなるということで、そのあたりのつづきを読んだ。

重要な点だけサクッと結論だけ書いてあとはだらだら感想を書いてみたい。

結論1:言語(日本語、英語、ドイツ語etc.)はイメージ(例:「明るい」といった言葉で連想される言葉など)を規定しない

結論2:ダーウィンの進化論では共通感覚が漸進的進化(突然変異と自然淘汰で徐々に機能が進化していく)とは言えない

  

・・・

今日の自分の解釈では、言葉がどれだけ豊富になったところで、それは共通感覚や概念といった、人間にしか持ちえないとされる能力には影響がない。(結論1より)

そうなったときに、「想像力を鍛える」と言われる文学はどのような意義を持つのだろうか。

よりラディカルな問いとして自分が提示したいのは、「そもそも想像力とはどのような機能で、その能力の多寡は何によって規定されるか」という問いである。

  

仮に「小説を読んで想像力や共感力を高めよう、そして心を豊かにしよう」というキャンペーン、運動が起きたとして、そこで想定される効果というものが、どれほどの意義を持つのだろうか。

それは常に自分が意識している、文学やその他さまざまな書物が持つ社会的なインパクトに対する問いへのひとつの回答、あるいはヒントになる。

  

ウンベルト・エーコは「文学は言葉を鍛える」と言っていたが、果たして、鍛えられた言葉とはどのようなものなのか。

言葉を鍛えるというのは、ある意味変な表現だ。

池田晶子は「言葉が人間において語らせる」とまで言っている。

ああ、問いが抽象的になってきた。

ここで「ネガティブ・ケイパビリティ」の出番だ。

答えを出すことにこだわり過ぎず、考えることに集中せよ。

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