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日記
現在、旧読書日記をラボ読書梟のほうに移行させる作業を行っているが784までなんとか作業が進んだ。
7月中には1340までの移行を完了させ、このブログでいろいろな方法を用いて読書の楽しみや本の紹介などを行っていきたい。
そのため、読書量が相対的に少なくなっている。
読書日記1300あたりの、一日あたりのアウトプットの量(=文字数)は今自分が見ていてもなかなか書いたなのと感じている。
というのも、最近はインプットの量が少ないので新しいネタを仕込めていないので文字数があの頃よりも少なくなっている。
という言い訳めいたことを書くのはやめにして、今日の感想を少し書いてみたい。
・・・
科学では証明が難しいと思われる命題はいくつかある。
そのひとつに、虫や植物に意識は存在するか?という命題があげられると思われる。
150項まで読み進んだが、『生命 科学の忘れもの』の出した結論は「yes」だ。
定量化可能な面と不可能な面では、齟齬が生じていることは前回で触れた。
(新・読書日記78に収録)
人類における5万年前の文化的爆発は、DNAをどれだけ解析しても分からないということであった。
そしてこれがダーウィンの進化論の限界ということでもあった。
今日は相対性理論の話を交えて物語が展開された。
言葉には時間の概念を暗に含む言葉が多くある。
「のんびり」「ゆったり」「せかせか」
このような言葉をみんなが感覚的に同じように理解できるのは「共感覚」という機能を人類が持っているからだとされる。
数珠に例えて説明された。
ひとつひとつの玉は厳密には違うものであるが、そのなかを糸(=共感覚)が通っていて、糸のおかげで球を結びつけることができる。そして糸は外部からは見えない。共感覚は客観的には見れないものなので、うまく表現されているように感じた。
「光には心がある」
なんだか「実在論ー観念論」問題のような、哲学的な話になってきた。
スリットの実験によると、粒子がどこに存在するか、その存在確率はある程度のむらがあるとされる。
“障壁に開けられた二つのスリットを通った光はスクリーン上に干渉模様を描く。” P154
完全にランダムではないということである。
たとえ話で「主観の世界、客観の世界」の違いの話を説明された。
駅のまわりでは、どの位置に人が集まりやすく、どこの通りが比較的密集しにくいのかがある程度統計的に、経験的に予測することができる。
しかしながら、一人ひとりの心のなかはランダム(空っぽ)ではなく、どこに向かうか決まっている。(例外もあるが、おおむね人は目的地へと向かう)
これをスリットの実験に照らし合わせると、光には意志が存在する、という言葉に多少の説得力がつく。
たしかにそうだな、と思いつつも、今日はこのあたりをさらっとしか読めていないので明日以降、また読んでいきたい。
つづく